ヘルシンキの心地よい音の質

「心地よい音の質」というのが、フィンランドの、というかヘルシンキの第一印象だった。夕方の便で到着したヴァンター国際空港からフィンエアーの直行バスでヘルシンキ中央駅に向かい、駅の近くに予約していたホテルに、うちの奥さんと二人で歩いて向かっていたときのことを覚えている。

フィンランド行きのために買ったライケルの厚底のブーツで石畳の上をコツン、コツンと歩く音、スーツケースのゴトコト、ガラガラの音。3月半ばの鉄の匂いが漂うひんやりとした夜の空気感に、鈍く光る線路の上をトラムがキーン、ゴトン、ゴトンと走っていく音。

初めて訪れる地に穏やかに静かに受け入れられた気分になり、直観的に、フィンランドに来てよかった、まあなんとかなりそうだな、と感じた。今振り返ってみても、いろいろあったにせよ、あのときの直観は正しかったなと思う。

スウェーデンでもストックホルムが静かなのに感動した。ちょうどPääsiäinen(復活祭)の休日中だったこともあり、日向の広場でのんびりとたむろう人々のおしゃべりが気持ちよく響き、スウェーデン語がまったくわからないというのもあるかもしれないが、リラックスした雰囲気が伝わってくる心地のよい場所だった。

一方、自分の地元の名古屋はうるさい。街なかに自動車が多すぎるし、あちこちのスピーカーから常に音楽というのか「音のゴミ」が垂れ流されている。「西洋は余白恐怖症的に空間をモノで埋め尽くそうとするが、「余白」とか「間」を活かすのが日本的な美意識である」などとよく言われるが、公共の場における音響に関しては当てはまらないような気がする。

以前、知人と名古屋の栄のとあるカフェに入ったとき、店内のBGMがあまりにうるさかったので店員さんに、もう少し音量を下げてくれませんかと頼んだことがあったが、無視された。ぼくは声が小さいので、そういうところでは会話がうまく出来ない。それでその時は、すぐにそこを出てしまった。

 音が体に害を及ぼすほど大きくないにしても十分にうるさいこともある。そんなときは遠慮せずにウェイトレスに音を下げてもらおう。自分の権利を主張しよう。歯の治療を受けるとき、ぼくは有線音楽放送を切ってもらう。歯科衛生士は、あなたが来ると助かるわ、とぼくに感謝している。見ていないテレビを切ってくれないかと友人に言っても一向にかまわない。また、なすすべがなかったら商店街を抜け出し、近くの森へ避難してもいい。それでも一向にかまわない。逃げることが勝利となることもあるのだ。ただいつ逃げるべきかを知っている必要はある。

W.アラジン マシュー『大きな耳―音の悦楽、音楽の冒険』 井上哲彰訳 創元社

ところで、マクドナルドにめったに行かないので、本当かどうか知らないけれど、マクドナルドでは店内のイスがとても硬いそうだ。イスが硬ければお尻が痛くなって長居することがなく、客の回転率がよいということらしい。座布団を持参することで対抗する豪気な客もいるらしいが、そこまでしてマクドナルドに居座ろうとする理由が理解できない。

そういう意味で、店内の音量が大きいのも、聴覚に不快感をおぼえさせてコーヒーを飲んだらすぐに店を出たくなくように仕向けれられていたのかもしれない。そのカフェにはその後、二度と行っていないのでどうでもいいのだが。

そんな時に備えて、最近は外出するときには耳栓を携帯するようにしている。丸善でもときどき大声で話している人たちがいるので、そんなときはサッと耳栓をつける。ただし、一人でいるときはいいのが、だれかと一緒の場合は気をつけないと人間関係を壊しかねないのでほどほどにしておく必要がある。

フィンランドの魅力はたくさんあるけれど、「心地よい音の質」が、フィンランドに何度も訪れたいと思わずにはいられない最大の理由の一つなのかもしれない。

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