円頓寺のパン屋 芒種のクリームパン

このあいだ、うちの奥さんと二人、久しぶりに自転車で名古屋駅方面にぶらりと向かった。名古屋市長選挙とか、フランス大統領選挙とか、メディアが煽る戦争勃発の恐怖とか、いろいろあるにせよ、ともかくよく晴れた気持ちのいい日曜日だった。

新しくできたJRゲートタワービルの三省堂で人ゴミにもまれて、頭がクラクラしながらの帰り道。途中で通りかかった円頓寺商店街に、いい雰囲気のパン屋が目に止まった。なんだか見覚えのある店だなと思ったら、看板に「芒種」とある。

犬山にあった「芒種」がどうして円頓寺にあるんだろう。自転車をとめて店内に入ってみると、見覚えのある帽子をかぶった女性の店主が笑顔で迎えてくれた。やっぱりあの「芒種」だった。知らなかったのだけど、「芒種」は去年の五月に犬山市から円頓寺に引っ越して来ていた。

その界隈のパン好きな人の間では、すでに有名パン屋になっているにちがいない。その証拠に、僕たちが立ち寄った時間にはほとんど売り切れていて、棚にはほんのわずかなパンしか残っていなかった。

ぼくらは、そのわずかに残されたパンの中から「放し飼いの卵でつくったクリームパン」と「ココナッツのプチパン」を一つずつ選んだ。「ココナッツのプチパン」は小さいのにどっしり、しっかりしている。クリームパンの方は新鮮でありながらどこか懐かしい味わいのクリームパンだと思った。ぼくはクリームパンにうるさいわけではないけれど、「放し飼いの卵」にはとても心が惹かれた。

ところで、自由ヶ丘と本山の中間ぐらいのところにも素敵なベーカリーがあって、よくそこにパンを買いに行く。住んでいるところから往復で1時間ぐらいの、散歩するにはいい距離だ。坂道のアップダウンがあるが、緑が多く気持ちがいい。ただし午前中に行かないとパンはあらかた売れてしまうので、よそ見しながらゆっくりと歩いてもいられない。

いっぽう、円頓寺のパン屋「芒種」は自転車で行くのにちょうどいい。行って帰ってくると15キロぐらいになる。地下鉄とはちがって、途中で小さな店を発見することができるのが自転車のいいところでもあるし。天気の良い日にお弁当やおにぎりこしらえて、ゆっくりと出かければ、そんなにお金を使わずにすむ。

でもやっぱりパン屋は午前中に行くべきだ、と思う。よいパン屋ならなおさらのこと。そして「芒種」はよいパン屋である。せめてライ麦パンがなくならないうちには、たどり着きたいものだ。

それにしても日曜日の午後3時すぎに、おもいがけず素敵なパン屋に再会でき、しかもおいしいクリームパンにありつけるなんて、ちょっとないと思った。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」と、おもわずつぶやきたくなった。

……おじさんの、ほかの人間に対するいちばんの不満は、自分が幸せなのにそれがわかっていない連中が多すぎるということだった。夏、わたしはおじといっしょにリンゴの木の下でレモネードを飲みながら、あれこれとりとめもないおしゃべりをした。ミツバチが羽音を立てるみたいな、のんびりした会話だ。そんなとき、おじさんは気持ちのいいおしゃべりを突然やめて、大声でこう言った。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」
だからわたしもいま同じようにしている。わたしの子どもも孫もそうだ。みなさんにもひとつお願いしておこう。幸せなときには、幸せなんだなと気づいてほしい。叫ぶなり、つぶやくなり、考えるなりしてほしい。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」と。

カート・ヴォネガット『国のない男』金原瑞人 訳 中公文庫

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