他力による扉ひらけ

edita2005
Finland 2005

「そんなに入りたいのなら、おれにかまわず入るがいい。しかし言っとくが、おれはこのとおりの力持ちだ。それでもほんの下っぱで、中に入ると部屋ごとに一人ずつ、順ぐりにすごいのがいる。このおれにしても三番目の番人をみただけで、すくみあがってしまうほどだ」

カフカ「掟の門」池内 紀 訳(『カフカ短篇集』所収)岩波文庫

フィンランドのバス停では、自分が乗るバスが近づいて来たら、手を挙げてバスの運転手に合図を送り、乗車の意思を伝えなければならない。だれも手を挙げず、かつ、降りる人がいなければ、バス停に人がいてもバスは通り過ぎていく。

バスに「乗り損ねる」ということは、フィンランドでは、場合によっては、命に関わる。みんな眼を見開いて自分の乗るバスが来る方角を見つめている。これはスウェーデンでも同じだった。

バスを降りるときは、目的地のバス停が近づいてきたら、ボタンを押して「次、停まります」のランプを点灯させる。バス停に着いたら、「扉を開くボタン」を押して降車する。もたもたしていると、せっかちなバスの運転手がバスを発進させてしまい、「降り損ねる」ことになる。

ヘルシンキの市バスで帰宅途中だったときのこと。乗客は途中から、ぼくと外国人らしき風貌の中年男性の二人だけになっていた。その男はバスが走っている間ずっと携帯電話で大声で話をしていた。聞こえてくるのはフィンランド語ではなく、英語でもなかったが、その語感には聞き覚えがあった。

その前年、KarjaaにあるLärkkullaという国民学校の初級フィンランド語コースで一緒だった、バルト三国の一つから来ていたエディタという、10代後半の女の子が話す母国の言葉に音が似ていたのと、その言葉で唯一知っていた単語が、その男性の口から受話器に向かって度々発せられるのを耳にし、その男性乗客の出自について憶測をめぐらしていたのだ。

バスが目的地の停留所に着いて、ぼくがもたもたしていると、せっかちな運転手が、例によってバスを発進させてしまった。「扉を開くボタン」を押したが、時すでに遅し。扉は開かなかった。降りますとか、待ってくれとか、何か言わなければと思ったが、とっさに声が出なかった。

その時、携帯電話の男性乗客が、いきなり “Ovi auki!” と叫んだ。すると走り出していたバスはキュッと急停車し、閉じていた扉が、ぼくの目の前で魔法のようにパァと開いたのだ。ぼくは、その男性に向かって「アーチュ!」と言って急いでバスを降りた。彼が一瞬ポカンとして、つぎに大きく微笑んだのを閉まるガラス扉の向こうに見た。

フィンランド語でOvi auki!は「扉ひらけ!」、「アーチュ(Ačiū)」は「ありがとう」を意味するリトアニア語だ。エディタが教えてくれた「おはよう」「すみません」といった、基本的な語彙の中でぼくが唯一覚えていたリトアニア語だった。

考えてみれば、フィンランドでの生活はこんなことの連続だった。自分がボタンを押しただけでは開かない扉を、だれかに開けてもらって、なんとかなっていた。と同時に、案外どうにかなるものだ。結局は、ひらいた扉を進むかどうするかは自分次第だ。

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