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アールト大学(Aalto University) の「鉛筆と紙」

フィンランド
View from TAIK / Helsinki 2005
View from TAIK / Helsinki 2005

かつて、TAIK(タイキあるいはタイク)と呼ばれていたヘルシンキの美術大学(現在はフィンランドを代表する建築家でデザイナーでもあった、Aalto の名前を大学名にしている)がある。

僕たち夫婦は10年ほど前 non-degree の学生として、そこの写真学科の片隅にかろうじて席を得て、1年間ほどヘルシンキあたりをブラブラとしながら写真を作っていたことがある。

その頃に、同大学の映画学科のフィンランド人の友人から聞いた興味深い話がある。その年の絵画の(いくつかあるうちの一つの)クラスを受け持った、ある有名なフィンランド人の画家の最初の授業は、学校の建物から外に出て、みんなでブラブラと散歩することだったそうだ。

その学校のすぐ近くには自然公園もあり、フィンランドの新学期が始まる8月後半から9月初め頃は特に天国のように美しい所なので、学生たちはリラックスして散歩を楽しんだ。

散歩から帰って来た絵画クラスの一行は、教室に戻る前にその学校の建物内の1階にある画材屋に立ち寄った。そして、画家が鉛筆と紙を学生らに与え、「さあ、どうぞ思う存分、見てきたものをそこに描いてください」と言って黙っていたそうだ。

「何か崇高な絵画理論や役に立つ絵画技法をその有名画家から教授してもらおう」と期待してそのクラスを受講した学生たちは、大いに落胆し、また不満も甚だしかったようだ。

学生の不平不満に対する、画家の言い分は、「私たちは、つい今しがた美しい自然の中で時間を過ごした。君たちは、そこで美しい物をたくさん見てきたはずだ。そして今君たちの手元には鉛筆と紙がある。見てきたものを鉛筆を使って、紙の上に描けばいいのだよ。これ以上何を望んでいるのかね」というものだったらしい。

その後、その絵画クラスがどうなったかは知らないが、その画家が学生たちに伝えたかったことは、絵画というのは「眼で見ることを選択した芸術」だ、ということだったのではないだろうか、とその時思った。

フランスの人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが、幕末から明治にかけて活躍した日本人画家の河鍋暁斎についてこんなことを記している。

狂斎は西洋の画家がモデルにポーズをとらせるというのが理解できないと言う。もしこのモデルが小鳥ならば、あちこち動き回って、ポーズをとらせるどころで はない。私なら日がな一日小鳥を見ている、と狂斎は言う。ある瞬間にふと、描きたいと思っていた姿が見える。彼は小鳥から目を離し、画帖に――その数は何百冊にものぼるのだが――、わずか三本か四本の描線で記憶に残るその姿をスケッチする。最終的には、彼はその姿をはっきりと記憶から取り出すことができるようになり、もはや小烏を見なくてもその姿を再現することができる。一生涯このような鍛錬をしたおかげで、と彼は言う、生き生きとした精確な記憶を獲得して、目にしたものはなんでも思い描くことができるようになった。なぜなら、彼が写し取るのはいまこの瞬間に目の前にいるモデルではなく、彼の精神が蓄積した多くのイメージであるからだ。

クロード・レヴィ=ストロース 「プッサンを見ながら」(『みる きく よむ』竹内信夫 訳 みすず書房)

画家にとって大切なことは、自分たちのまわりにあるものを徹底的に「見る」ことだ、という根源的なことを、突き放したようなやり方だけれど、その画家は伝えたかったのではないだろうか。また、そういう人が先生をしているこの美術学校はいい所だなと思った。

ところで、その大学の画材屋の名前は「Kynä ja Paperi(鉛筆と紙)」というのだけれど、売っているものはもちろん鉛筆と紙だけではない。狭いながらもコーヒーが飲めるようなスペースもある。

写真学科の暗室やスタジオは当時、学校の建物の最上階の(確か)8階と9階部分を占めていて、1階の Kynä ja Paperi で kahvi tauko (コーヒー休憩)していると、上までエレベーターで昇っていくのが面倒な気分になることがあった。(暗室に行くのが億劫だから、そこでコーヒーを飲んでいたのかもしれない)

写真も絵画と同じ「目で見ることを選択した芸術」であるならば、見るということをゆめゆめ疎かにはできない。ただ、写真の場合は、鉛筆と紙で、というわけにはいかず、カメラとレンズ、フィルム、そして暗室などが何やかんやと必要になる。

またデジタルが主流になった昨今では、デジカメ、PC、Mac、Adobeフォトショップなど、何のかんのと物入りだ。いやはや。

だからかと言うわけではないだろうけれど、数年前に、大学の組織が大きく変わった時に、ついでに暗室もろとも写真学科がきれいサッパリ消えてしまって、独立した一つの学科としてはもはや存在していないらしい。まあでも、ヘルシンキには Kynä ja Paperi と美しい自然が残っているからいいんだけれど。

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