日本人です。フィンランド人です。

ORION 2006
ORION 2006

 わたしたちは引き合わされた。わたしは、ボゴタのロス・アンデス大学の教授だと告げ、コロンビア人だと説明した。
 彼女は、考え深げにたずねた。
「コロンビア人てどういうことですの?」
「きあ」とわたしは答えた。「一種の信仰の表明ですかな」
「ノルウェー人だというようなものね」と彼女はうなずいた。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「ウルリーケ」篠田一士訳(『砂の本』所収)集英社文庫
Jorge Luis Borges, “Ulrica”, 1975

フィンランドにいたころ、初対面の人(たいていはフィンランド人だったのだが)と挨拶を交わすとき、第一声は型どおりに「ヘイ! 〇〇です」、と自分の名前だけを述べていたが、ある時期、名前のあとに出自を付け加えて挨拶していたことがあった。

どこから来たのか? 何国人か? と繰り返される定形なやり取りを迂遠に感じ、先回りして自己申告するようになっていた。

そんな、効率がよさそうに見えて、実はそっけない挨拶をやめたのは、ヘルシンキの映画館ORIONで「パゾリーニ・ウイーク」中のある出来事がきっかけだった。

映画に誘ってくれたシネマトグラファーの友人から、やはりフィンランドで映画製作に携わる彼の友人を、その日の上映を待つ人々で混雑する映画館のロビーで引き合わされたときのこと。

ぼくが、「〇〇です。日本人です」と名乗ると、その青年が穏やかだけれどちょっと意地悪そうにほくそ笑んで、「〇〇です。フィンランド人です」と切り返してきた。

それを聞いて、いきなり出自までも述べる自分の挨拶の仕方がバカバカしく思え、以来、初対面の相手には、名前だけを述べるシンプルなスタイルに戻した。

長く続くにせよその場限りにせよ、迂回路をたどるように、付かず離れず行きつ戻りつしながら、相手との距離をとる方が自分に合っている。

それにしても、そのあと観たパゾリーニの映画が何だったのか、『カンタベリー物語』だったのか、あるいは『王女メディア』だったのか、さっぱり思い出せないのに、箪笥の上で昼寝をしていた猫がいきなり足元にスタリと降りてきて、にゃあ、と鳴くみたいに、些末な記憶が前触れもなく目の前に現れる。記憶は普段どこで眠っているのだろう。

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