熊野灘に石を投げるフィンランド人

熊野灘 2009
熊野灘 2009

あるどんよりと曇った11月の午後のこと。ぼくとJaakkoは熊野の七里御浜を歩いていた。Jaakkoが日本での留学を終えフィンランドに帰る前に、彼の留学先である京都とぼくの住んでいる名古屋の中間地点で会おうということになったのだ。二人がいままで行ったことがなく、訪れてみたい場所という条件と、最後に太平洋を見ておきたいという彼の希望を満たしたのが熊野だった。

熊野灘は時化っていた。うっかりするとさらわれてしまいそうな怒濤と、波が引くたびに浜の小石が立てる、しゅわしゅわ、つぶつぶっとした心地よい音を聞きながら、ぼくら二人のほかは誰もいない浜をゆっくり歩いた。ときおり足元から拾い上げた小石を波の向こうへ放り投げたりした。

海に流れ込む井戸川の上流にダムができる以前は、波打ち際はずっと向こうの方にあったのに、今では浜の幅がどんどん狭くなってきた、遠からず七里御浜はなくなってしまうだろう、という話を少しあとになって熊野の知人から聞いた。

花窟神社のあたりから鬼ケ城の近くまでの間に、二人でけっこうな数の石を投げたと思う。知人の話が本当であれば、ぼくたちは、それと気づかずに幾分かは七里御浜の消滅に加担してしまったことになるかもしれない。

その翌々日、ぼくは名古屋の自宅へ、 Jaakkoは京都に戻り、しばらくしてフィンランドへ帰っていった。

自宅の食器棚の上には、そのとき海に投げずに、ポケットに入れたまま持ち帰った小さな石が置いてある。その後何度か熊野を訪れた際に拾ったのと混ざってしまい、どれがあのときの石なのか区別はつかなくなってしまった。

その中からひとつぶ手にとってみる。あれから10年ほどたつけれど、ありがたいことに七里御浜は消滅していないし、Jaakkoはフィンランドで元気に暮らしている。

……ちょっとの間ためらうように小石をもてあそび、お手玉のように投げ上げたりしていたが、突然海の方へ振り向くと、波の向こうへ力いっぱい遠く放り投げた。それから唾を吐くと、エマヌエルの方へ向かってきた。

ミルチャ・エリアーデ「石占い師」住谷春也 訳
Mircea Eliade, “Ghicitor în pietre” (1959)
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