白川公園に住んでいたフィンランド人

白川公園のマネキン村、名古屋 2001年頃
白川公園のマネキン村、名古屋 2001年頃

「かつて、名古屋の白川公園に住んでいたことがある」
2004年にフィンランドのKarjaaの国民学校で知り合った、Esaという名のフィンランド人が初対面の会話の中でそう言ったことを覚えている。

本州、北海道、九州、四国、沖縄、その他の島々で構成される島国である、というのが日本の地理についてのミニマムな共通認識であるはずのフィンランド人の口から、自分の出身地である名古屋の、しかもローカルな公園の名前が飛び出したことに驚きつつも、フィンランド訛りが強く、早口のため聞き取りにくい英語で語られる彼の話に、注意深く耳をかたむけた。

白川公園は名古屋の中心地近くの緑の豊かな公園で、名古屋市美術館や名古屋市科学館もそのなかにある。2005年に愛知県で開催された博覧会「愛・地球博」で一掃されるまで、居場所を失った人たちが暮らすブルーシートのテント集落があったことでも記憶されていると思う。

Esaは、その集落でしばらく居候をしていたことがあるようだった。彼の話によると、当時、上海から飛行機で名古屋に来たが、お金を盗まれ、あるいは使い果たし、ウロウロとさまよっていたところを、白川公園の集落在住のアキラさんという方に助けられたそうだ。

流暢に英語を話すアキラさんをはじめ、集落の人々にも世話になった上、親切にもフィンランドへ帰るための飛行機のチケット代を工面してもらったらしい。

僕がたまたま2002年頃に撮影したその集落の写真を、Mac iBook のモニター上で見せると、懐かしそうに見つめながら、名古屋に帰ってアキラに会うことがあれば、お礼の気持ちを伝えて欲しい、と言った。

白川公園にブルーシートの集落を見ることはもうない。そこにそれがあったという痕跡はほとんどない。かつて、そこにいた人たちはどこへいってしまったのだろう。そこは、何か大切なものが忘れ去られてしまった場所、記憶の抜け殻のような場所となっている。

あの時、Esaから預かった言付けは、行き先を失った郵便物のように名宛人不明のラベルを貼って、記憶のひきだしの一つにしまってある。

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