循環するアラビアのマグ

フィンランド
食堂のマグ
mugs in voionmaan opisto 2013

カンサノピストの食堂では、コーヒー用にアラビア製のマグが置かれていた。高価なものではなく業務用の大量生産品だ。生徒たちの雑な扱いに耐えるタフさに加え、スタッキングができるなど、アラビアならではのスタイルと機能美を兼ね備えている。

ところで、マグを使うのは食堂内だけとは限らない。生徒たちは食堂でコーヒーをいれると、そのままマグを片手に学校の敷地内の隅々まで散らばっていく。教室や学生寮、暗室やサウナ小屋のテラス、湖(Näsijärvi)の桟橋などへと向かって。

マグを食堂から持ち出すのは、まあよしとしよう。問題はそのあとだ。飲み終わったマグはその場に放置。だれもマグを食堂に戻さない。その結果、フィンランドの森に生えているキノコのように、あちこちにマグが点在することになる。ご丁寧にきちんとスタッキングしてあるものもあった。

若者特有のだらしなさ、というわけでもなく、年配の生徒や先生たちも同じだったし、誰もそのことに気がとがめる様子もない。となると、これはフィンランド人の行動様式といってもいいだろう。あるいは、アラビアのマグそのものに、外へ持ち出さずにはいられない知覚のアフォーダンスが注入されているとか。

このようなことが続けば、当然ながら、食堂ではマグ不足になり、マグが十分供給できない事態となる。しかし、そのような状態は長くは続かない。マグ不足が限界点まで達するあたりで、食堂のマグ量は元のレベルまで急速に回復するのだ。「マグ理論」として数量化モデルをデザインし、循環速度を計算した、というフィンランド人の生徒がいたということだが真偽は不明だ。

ともあれ、マグに精霊が宿っていて、自然に元の場所へと戻ってくるわけでもないし、また、学校が新たに補充していたのでもない。用務員のおばさんが、散らばったマグを回収して歩いていたのだ。何やらフィンランド語でぶつぶつと呟きながらマグを集める姿は、森の精霊に帰還命令を出す魔法使いのおばあさんのようだった。

稀に、用務員のおばさんの眼を逃れて、人知れず長期間にわたり孤独を貪る長老のマグもあった。カップの内側の底に干からびたコーヒーがガビガビにこびりつき、環境の一部と化した年季の入ったマグに出くわすと、なにごとのおはしますかは知らねども…、といった心境になる。

実はぼくもマグを一つ食堂の外へと持ち出したことがある。そのマグは、その後2年間ほど過ごすことになるフィンランドで、ぼくとうちの奥さんの手元にあったが、ヘルシンキで暮らしているあいだに失くしてしまった。あるいはやっぱり、マグに精霊が宿っていて、元の場所へ戻っていったのかもしれない。

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