マンネルヘイミン通りのストーリーテラー

Helsinki 2006
Helsinki 2006

僕は外国にいると、見知らぬ人からよく声をかけられる、ような気がする。不慣れな外国で、突然声をかけられるので驚くのだけれど、そのことで嫌な思いはしたことがない。むしろそこに住む人々との偶然に発生するちょっとしたコミュニケーションを楽しむことが多い。

20代の終わりごろに、旅行で訪れたバンコクの市バスの中で、現地に住んでいる中国系のお爺さんから中国語で声をかけられたことがある。意味がわからなかったので、英語で「すみません、中国語はわかりません。日本から来ました」と答えると、「てっきり香港人かと思ったよ」と流暢な英語で返事をしてくれた。

ついでにどこでバスを降りたら良いかとか、その界隈の情報なんかも教えてもらって、とてもありがたかった。別れ際のお爺さんの気さくな笑顔をいまでも憶えている。

ヘルシンキに住んでいたとき、マンネルヘイミン通りのYliopiston Apteekkiの前を歩いていて突然、フィンランド人のおじさんに呼び止められたことがある。50歳ぐらいに見えたその男性は、髪の毛をキチンととかしつけていて、ジーパンにジージャン、メガネをかけていた。つまり、どこから見ても典型的なフィンランドの中年男性だ。

すみませんが「ある事情」があり、是非とも4ユーロ必要なのですよと、よく晴れた気持ちの良い六月の昼下がり、ヘルシンキの人通りの多い目抜き通りの路上で、そのおじさんは僕に語り始めた。僕も暇だったので、4ユーロが必要な「ある事情」について立ちながら話を聞いた。

先ほど、アジアの友人がヘルシンキ・ヴァンター空港に到着したのだが、空港で荷物を無くしてしまい大変困っている、ヘルシンキ市内までのバス代もないので、空港まで迎えに来てくれないか、という主旨の電話を友人から受け取った。是非とも自分が空港まで出かけていって、その友人を助けなければならないのだが、あいにく空港までのバス代の4ユーロ(2006年当時)を持ち合わせておらず途方に暮れている、というような話しだった。

「そうですか、それはお気の毒です。お友達の荷物が見つかるとよいですね」と答えると、彼は「ところで、その4ユーロを貸してもらえないか。お金は後で必ず返しますから」と頼んできた。

その頼み方は丁寧であり紳士的でもあったので、不愉快な気分にはならなかったのだけれども、運賃の計算が微妙に不合理なことに気がついて、「フィンエアーの空港直行バスの運賃が4ユーロだとして、どうやってヘルシンキ市内までもどってくるつもりなのか?」とか、「市バスで行けば2ユーロぐらいで行けるはずだけれど」などといった疑問点を指摘すると、「2ユーロでもいいのですが、どうでしょうか」とあっさりとディスカウントの額を提示してきた。

「その友人には気の毒に思うけれど 自分もお金を持っていないのです、すみませんが」と丁寧に断ると、「そうですか、それならば仕方がありませんね」と肩を落として、寂しそうに微笑んで去って行った。

その短いストーリーに対してというより、本当に困っていそうな彼に対して、2ユーロぐらいは渡してもよかったかなと、後で思ったが、どちらにしても僕のポケットには4ユーロどころか、2ユーロもなかった。

おじさんはその後、4ユーロを入手することができたのだろうか。荷物をなくした友人というのも、ひょっとしたら本当の話だったのかもしれないし。

ところで、韓国のソウルで、韓国人のお爺さんに韓国語で地下鉄の乗り場を尋ねられたり、日本で中国人の若者から中国語で道を尋ねられたりしたことがある。

韓国語も中国語も全く話せないのに。そう言えば、日本人から声をかけられたり、道を尋ねられたりすることがまったくないのだけれど、なぜなんだろう。日本語は人並みには話せるはずなのに。

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