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「アンナ・カレーニナ」を探して、トルストイ『アンナ・カレーニナ』望月哲男訳

日々
The commuter train goes to Helsinki under heavy cloud in December. The veiw from Pasilan silta,
The veiw from Pasilan silta Helsinki 2005

「復讐するは我にあり、我はこれを報いん」
「ローマの信徒への手紙12-19」の主の言葉より

トルストイ『アンナ・カレーニナ』のエピグラフ
(光文社古典新訳文庫) 望月哲男訳

聖書から引用されたエピグラフとそれに続いて、幸せな家族と不幸せな家族についての短い、しかし有名な冒頭の一文を、いきつけの図書館のロシア文学の棚の前で立ち読みし始めると、たちまちその小説世界に引き込まれてしまい、全4冊からなるトルストイの『アンナ・カレーニナ』を抱えて貸出カウンターに向かった。

読んでいる途中で、妙なことが気になり始めた。「アンナ・カレーニナ」という名前は小説中にあっただろうか? 最初のページに戻って「アンナ・カレーニナ」の存在を確認したいという誘惑にかられつつも、蒸気機関車のような、この小説自体の力強い前進運動に身を任せて先に読み進むと、その後「アンナ・アルカージエヴナ」が何度か登場するものの、結局のところ「アンナ・カレーニナ」を探し出すことはできなかった。

単に見逃していただけかもしれないし、小説の全文を検索したわけではない。ロシア語の原文を調べたわけでもないが、もし実際に「アンナ・カレーニナ」がこの小説のタイトル以外のどこにも記述されていないとするならば、それはどういうことなんだろう。蓮實重彦著の「殺人用具ともなりかねない硬くて重量のある書物」の中で論じられた、「エンマ・ボヴァリー」という記号の不在、と類似の事態がここにも発生しているのか?

「現在、特定の地に、特定の人の住民登録・本籍がないことを証明する」不在住証明書・不在籍証明書は、手数料を支払えば役所が発行してくれるが、この小説自体が、「『アンナ・カレーニナ』という小説世界に、「アンナ・カレーニナ」という人物の住民登録・本籍がないことを証明するもの」という、「アンナ・カレーニナ」の不在籍証明書であるかのようだ。発行者は19世紀後半、ロシア帝国のレフ・トルストイ。

アンナと対照的に、小説世界にしっかりと存在しているのがコンスタンティン・リョーヴィンだ。彼は神の絶対的な力を感じ、理性はほどほどにして神にまかせてしまえばいい、という宗教的な境地に立ち帰っていく。

一方、神への信仰のかわりに愛至上主義という極端なイデオロギーに身も心もどっぷりとつかっているアンナは、溺れるようにして汽車が走るレールの上に身を投げ出してしまう。「アンナ・カレーニナ」どころか、「アンナ」も「アンナ・アルカージエヴナ」もいなくなってしまった。

ところで、小説の後半に「ヘルシングフォルス」という言葉が出て来る。これはスウェーデン語でヘルシンキのことだと思うが、ロシア語でも「ヘルシングフォルス」というのだろうか。

トルストイがこの小説を書いた19世紀後半はフィンランドはまだロシア領だったし、それ以前スウェーデン領だったころの地名のまま呼ばれていたのかもしれない。

今年2017年はフィンランドの独立百周年であると同時に、ロシア革命百年目でもある。革命ちょっと前のロシアの雰囲気のようなものを、この小説世界の中で想像しながら読むのも楽しい。ひょっとすると現代にも通じるところがあるのでは。

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