余は玉ねぎの尊崇されている東方の一地方を見た
澁澤龍彦「陽物神譚」のエピグラフ(『犬狼都市』所収)福武書店
プリニウス「博物誌」
先日、神保町の吉野家に入ったのは、たぶん三年ぶりかそれ以上になる。古書まつりでごった返す神保町にて、独りで手っ取り早くお昼を済ませようと思ったのだ。
注文した牛丼の並盛を見て驚いた。牛肉が少ない。玉ねぎのほうが多いぐらいだ。肉:玉ねぎの比率は、体感的には、1:2ぐらいだ。これはむしろ「玉ねぎ丼牛肉添え」だ。
そこへ紅生姜なんかをのせてしまうと、丼空間における牛肉の存在感はさらに低下する。これで380円となると、実際のところ安いのか高いのかわからない。
ただ、店員の男子四人によるのチームワークと手際が素晴らしかった。レジ担当が注文を伺いにカウンターの最前列に出ると、炊飯器担当がサッとポジション移動してレジをカバーする。その間、隣の肉鍋担当が、炊飯器にちらりと目配せをしてケアを怠らない。
奥の食器洗い担当はお客さんの動きにも気を配っているようすだ。食器洗い担当がこのチームの司令塔なのかもしれない。チーム全体が以心伝心、有機的に機能して、せっせとお客をさばいている。「ハーフタイム」があれば修正箇所をチェックし合っているにちがいない。
肉の量が減少(相対的に玉ねぎが増大)し、客サイドから見て満足度が低下しているとすれば、それは吉野家にだけ責任があるのではなく、むしろ日本の経済環境に問題があるのではないか。
他方、従業員側からみた給料などの待遇面はどうだろうか。人件費を削る短期的な企業利益優先ではなく、長期的な視野で人材育成投資がなされているといいのだけれど。
政府が発表する経済指標では上向きの数字もあるようだが、個人的には実感はない。それよりも吉野家の牛丼並盛りの肉の量と質の動向が実体経済をより的確に反映しそうだし、胃袋で感じるほうがピンとくる。
ビッグマック指数というのがあるぐらいだから、日本の場合「吉牛並盛指数」があってもいいはずだ。ところで霞が関の財務官僚は吉野家で牛丼を食べるのだろうか。あの辺りにも霞が関3号館や虎ノ門店があるのだが。
牛丼の肉が少ないせいで、どうでもいいことを考えてしまった。牛丼ぐらい気軽に食べたいものだ。
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