高校1年が終わった春休みに出会ったThe Smiths(ザ・スミス) のアルバム “MEAT IS MURDER” を、30年以上たった今でもときどき聴いている。
抑揚の少ないモリシーの声、それにジョニー・マーの魅力的なギターサウンドは、それまでよく聴いていたビルボードのヒットチャートに登場するどんな曲ともちがい個性的で新鮮に響いた。
歌詞にも興味があったけれど、1985年に買った徳間書店発行のスミスのCDには、英語の歌詞カードがあるだけで日本語訳はなく、自分で辞書をひきながら聴いていた。
アルバムの1曲目、”THE HEADMASTER RITUAL”の冒頭に出てくる”Belligerent ghouls”の意味がわからなかった。居ても立っても居られず、名古屋にある正文館書店(東片端)という、わりと大きな書店まで自転車ですっ飛んでいって、2階のフロアーに駆け上がり、英語辞書のコーナーにあった分厚く高価な英和辞典を立ち読みして調べたことを覚えている。高校推奨の研究社の新英和中辞典第四版にはBelligerentはあったが、ghoulsという単語はのっていなかったのだ。
親や先生たちから押し付けられる固定観念に縛られ、その後の「長く孤独な」人生を思い、11月のフィンランドのような暗澹たる思いを抱く「不器用で内気な」16才のころの自分にとって、「学校にはいたくない、教育はあきらめた、すみません体育を休みます」などという不穏当な言葉が横溢する「3分半のポップソング」は、読書同様、立ち止まって自分を見つめる貴重な時間だった。
その後、既定路線らしき道を無理して進んでいたが、あるときそれを全部あきらめて、結果的にほぼ3年、フィンランドで立ち止まってみたことは、スミスのポップソングと同様、自分を取り戻すための必要な時間だったのではないかと思う。
1月のこの時期になるとなぜか無性にスミスを聴きたくなるのは、大学入試のニュースを見て、10代のころの「どうにもならない」気分を思い出すからなのかもしれない。一度、偏差値やセンター試験なんて止めてみたらいいのに。無理だろうけれど。
ところでフィンランドにも日本における大学入試のようなものがある。妻がトゥルクの美術大学を受験したことがあった。なんとか最終選考の教授たちによる面接まで進んだけれど、あと一歩及ばなかった。フィンランド人でもなくEU圏でもないわりに善戦したと思う。
フィンランドの大学入試には偏差値もセンター試験もないが、日本以上の狭き門だと思った。
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