Tuomari Nurmioとアキ・カウリスマキ

Tampere Finland 2004

アキ・カウリスマキの映画に、素のまま出演できそうな雰囲気の人物をときどき見かける。たとえば、フランスの小説家ミシェル・ウエルベック(1958-)、イギリスのシンガー・ソングライターのビリー・ブラッグ(1957-)、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェク(1949-)など。あと、時代が全く違うけれど、デンマークの小説家カレン・ブリクセン(1885-1962)も。

それぞれ本業は違うし、人柄とか主義主張のことはいざしらず、皺や頭髪など、いい意味で目に見える範囲においての肉体的凋落も含め、時間をかけて「やっと手に入れたんだという顔」が誇らしげな人たちだ。

今回のアキ・カウリスマキの新作映画『希望のかなた』に出演してしていることを聞いて、ちょっと嬉しくなったのが、フィンランドのロック・ミュージシャン、Tuomari Nurmioだ。アキ・カウリスマキの映画に出演するのは初めてのことだと思う。

Tuomari Nurmioを最初に聴いたのは、ぼくがフィンランドに留学した一年目の年のこと。そこで知り合ったフィンランド人のJaakko(20歳そこそこ)が、当時30代後半の日本人のぼくのために、ザ・ベスト・オブ・フィニッシュ・ロックを選んでくれた。

彼のお気に入りは、Ismo AlankoとそのバンドSielun Veljet、Hassisen koneなど。フィンランド人の間でも人気が高い。アルバムによってはトーキング・ヘッズのような雰囲気もあり、(フィンランド語のFour-letter wordを気にしなければ)わりと好きだ。

そのほかNikolai Blad、Jukka Tolonen、Kuusumun Profeetta、Pekka Streng、Kauko Röyhkäなどなど。それぞれ個性的でクオリティも高い。それまでフィンランドのロックは全く聴いたことがなかったので、どれも興味深かった。

なかでも特に好きになったのが、しわがれ声が魅力的なTuomari Nurmio(1950-)だ。あご髭と頭髪の具合がドクター・ジョンとアート・リンゼイを合わせたような不思議な雰囲気を漂わせている。

70年代後半から80年代初期のパンク、ニュー・ウェーヴ的なノリのある『Lasten mehuhetki』や、シンプルなギターサウンドと絞り出すような声が印象的な『Luuta ja nahkaa』などのCDをiBook G3とiPadにコピーして、よく聴いていた。今でもTuomari Nurmioを聴くとフィンランドの日々を思い出す。

『希望のかなた』を最後に、映画監督を引退すると発表したアキ・カウリスマキだが、その理由をきかれて、「もう疲れたよ。そろそろ自分自身の人生を始めたい」と語ったと言われている。とてもシンプルな理由だ。今年(2017年)で60歳になったアキ・カウリスマキの本音だろう。

アキ・カウリスマキの次回作を待つ楽しみがなくなるのは寂しいが、これまでに製作された長短編あわせて20本ほどの作品を観る時間は幸いにも充分ある。問題は彼の映画を観る機会がなかなかないということ。

名古屋シネマテークが特集を組んでくれたら、全部観に行くんだが。とりあえず、日本では12月に公開される『希望のかなた』と、そこに出演するTuomari Nurmioを楽しみにしていよう。

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