フィンランドの岩魚釣りで失われたミミズ

Juhannuspäivä 2006
Juhannuspäivä 2006

 あそこで釣りをしたのは、たった一度だけ。
 持っていたのは30/30のウインチェスター銃だけで、釣具はなにも持っていなかったから錆びた古釘を見つけてきて、それにわたしの幼年時代の亡霊のような白い糸を結びつけ、鹿肉を餌にして鱒を釣ろうとした。ほとんど釣りあげたといってもいい。

リチャード・プローティガン「『アメリカの鱒釣り』から失われた二章 「レンブラント・クリーク」と「カーセイジ川の凹地」」藤本和子

世の中にはミミズを素手で触ることが平気な人と、そうでない人がいる。ぼくは手袋をしてもダメで、ましてや素手で触ることなどできない。

知人夫妻のヤンネさんとヨハンナさんのKesämökki(夏のコテージ)で、夏至祭を過ごしたときのこと。友人のヤーッコも加わり、湖にボートを出して釣りをしようということになった。

餌となるミミズを集めるべく、コテージの菜園を掘り返して、バケツにかなりの数のミミズを集めたのはヨハンナさんであり、うちの奥さんはアシスタントとしてバケツを持ち、ぼくはそれを見守るだけだった。ヨハンナさんは「子供の頃から慣れているからなんでもないよ」と、ピチピチと元気にのたくるフィンランドのミミズを掌にのせてニッコリと微笑んだ。

釣竿を持ち合わせていなかったから白樺の枝を拾い集め、プーッコで余分な小枝をはらい、釣り糸をくくりつけた自作の釣竿をかかえて、五人で一隻のボートに乗り込み、オールを漕いで湖にでた。澄んだ湖を覗き込むと小さな魚がたくさん泳いでいる。岩魚のたぐいのようだ。

釣りの前に、ヤーッコが「豊漁を願い、まずは湖の神様へ」と言って、上着のポケットからKoskenkorvaのボトルを取り出し、蓋のキャップに一杯のスピリッツを湖にそそいだ。そして彼もぐいっと杯をあおった。みんなそれぞれ一杯ずつ、 ぼくも一杯。

Koskenkorvaのかいなく、フィンランドの岩魚はなんなく釣り針をよけて、ぼくらの集めたミミズをかっさらい、意気揚々と泳ぎ去っていった。

ところで、今でもときどき気にかかることがある。あのとき残ったミミズをどうしたのか記憶がはっきりしない。菜園の土に返したのか、それとも湖の神様に奉納したのか……。

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