ヘルシンキのセルフレジ

Hakaniemi, Helsinki, フィンランド
Hakaniemi Helsinki 2006

月天心貧しき町を通りけり

与謝蕪村

「君に見せたいものがあるんだ。とても日本的なものなんだよ。何だと思う? 雪橇をやった後そこへ行こう」とJ.Rがニヤリとしていった。2012年にフィンランドを訪れたときのことだった。

彼のアパートがあるPorvoonkatuからほど近いAlppipuistoの、まっさらな雪で覆われた丘の急斜面を、彼のところから持参したポリプロピレン製ゴミ箱の、大人が一人乗れる大きな丸い蓋を橇がわりにして、かわりばんこに滑走し、無事20本ばかりの曲がりくねった橇跡を描いたあと、汗ばんだ体に気持ちのいい二月のヘルシンキの夜空の下、しんっと静まり返ったリンナンマキに沿って、彼のいう「日本的なもの」を目指してAleksis Kiven KatuのS-market Vallilaへと僕たちは歩いていった。

スーパーマーケットに着き、暖房の効いた明るい店内に入ってしばらくすると、有人レジの隣に不思議な既視感を覚えた。無人レジまたはセルフレジなどと呼ばれるその「日本的な」装置には、「調整中」の札が吊り下がり、夜遅い時間にしては混雑する有人レジと対照的に、その半径数メートルのエリアに場違いな空気感をひっそりとただよわせていた。

フィンランドのスーパーマーケットではセルフレジの導入が急速に進んでいる、とJ.Rはいう。理由は人件費の削減であり、人間の仕事が機械に奪わつつあるのは馬鹿げている、セルフレジを使わないことでスーパーマーケットに抗議しているのだ、

彼は雪橇のゴミ箱の蓋を振り回しながら僕に力説した。「日本的」という言葉にいくぶん皮肉が込められたのは、彼が数年前に日本(京都)に留学していたとき、どこかのスーパーマーケットで見かけたセルフレジに非人間的な印象を持ったからのようだ。

ただ、人件費などとは別に、フィンランドの生産年齢人口が減少しつつあるのも大きな原因なのではないか。たしかにぼくが以前フィンランドで暮らしていた頃にはセルフレジは見かけなかった。

いわゆる少子高齢化が急速に進んで、フィンランドの社会が大きく変わってきているのではないか。その点はフィンランドも日本も状況が似ている。スーパーマーケットはそういうことが透けて見えてしまう場所なのかもしれない。

ところで、フィンランドのスーパーマーケットといえば、アキ・カウリスマキの映画『Varjoja paratiisissa』を思い出す。ヘルシンキ市のゴミ収集車の作業員のマッティ・ペロンパーとスーパーマーケット(Valintatalo)のレジ係のカティ・オウティネンが出会う青春ラブストーリーだ。

切なくて、哀しくて、とても美しい映画だ。Volvoのゴミ収集車が疾走する1980年代のヘルシンキやハカニエミの風景も美しい。カウリスマキ作品で一番好きな作品だ。

スーパーマーケットのレジから人間が消えて機械だけになってしまうのは、避けられないことかもしれないが、アキ・カウリスマキの映画を見てもレジ係が何なのかわからなくなるとしたら、ちょっと寂しい。そうなるのも遠い未来の話でもなさそうだ。

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