#006 イサク・ディーネセン「バベットの晩餐会」、フィルムも紙も美味しい

ハリウッドでフィルムを食べている羊に向かって山羊が「美味いかね?」と聞くと、羊が「原作(紙)の方が美味かった」なんていうジョークがあるように、映画(フィルム)を原作の小説(紙)を比べて良いとか、悪いとか言われることがしばしばある。

そもそも、映画と小説を比較すること自体がナンセンスだとしても、(頼んでもいないのに)映画化されることで、個人的な読書体験が台無しにされるような気分になるからなのか、映画の方が好評を博することはなかなか難しいみたいだ。

デンマークの映画監督ガブリエル・アクセル(Gabriel Axel)の映画『バベットの晩餐会』は、同じくデンマークのイサク・ディーネセン(Isak Dienesen)の同名の小説を原作に作られた映画で、アカデミー外国語映画賞をはじめ多くの賞を獲得している。珍しくフィルムの方も美味しい作品だ。

ユトランドの片田舎に住む、ルター派の敬虔な信者である美しい年配の姉妹を頼って、バベットと名乗る謎の女性がフランス革命を逃れパリからやってくる。話は49年前の過去の出来事に遡り、再び物語上の現在において、バベットの手による超一流のフランス料理が振る舞われる晩餐会で、過去と現在の見えなかった糸がつながっていく。

 その夜遅く、表のドアのベルが鳴った。マチーヌがドアを開けると、またも目の前に手押し車がきていた。あの老人がもうすっかり疲れてしまったものだからとでいうように、こんどは赤毛の船乗りの少年が手押し車を押してきていた。少年はマチーネを見てばつが悪そうににやっと笑うと、なにやら大きなものを手押し車から持ち上げた。ところが台所の床に置かれると、突然その石から蛇のような頭がぬっと現れて、その頭を左右に動かした。マチーヌは亀の絵を見たことがあったし、それに子供のころ、小さな亀を飼ったこともあった。だがこの亀はとてつもなく大きくて、恐ろしくてつついてみれるような代物ではなかった。マチーヌはあとずさりすると、押し黙って台所から出ていった。

イサク・ディーネセン(Isak Dienesen)『バベットの晩餐会』桝田啓介訳 ちくま文庫

運ばれてくる食材をみてマチーヌがうろたえる場面が面白い。これはウミガメのことだと思うが、ハイスミスの「すっぽん」同様、なにやら不吉なことを予感させる。「自分と妹が、よりによってお父さんの百年祭に、父の家を魔女の饗宴に明け渡そうとしているように感じ」るのも無理はない。

18世紀後半から19世紀にかけて、北米大陸ではアメリカ独立戦争が、ヨーロッパではフランス革命が勃発した。古風な世界観が破壊され、新しい物質文明が怒涛のごとく押し寄せてくる時代の始まりだったとも言える。世俗的な成功や名声を求める欲望に抗して、形而上の価値や信仰心を保とうとした時代を背景に語られる、美しい姉妹それぞれの恋物語とバベットの芸術家としての矜持には、21世紀の初めを生きている自分の心にも静かに訴えかけるものがある。

自分の場合、『バベットの晩餐会』は映画を先に見てそのあと小説を読んだが、「小説を先に読んでおけば良かった」などという後悔はまったくない。原作者のイサク・ディーネセンが小説に込めた哲学をそのまま映像化したような静かで美しい映画は、この小説を読んだことのある人にも、まだの人にも勧めることができる。

ディーネセンの長編小説『アフリカの日々』もシドニー・ポラック監督で『愛と哀しみの果て』という映画になっている。こちらの映画はまだ見ていないので、いつか見たいと思っている。ホールデン・コールフィールドが「ずいぶん優れた本だった」と褒めていることについては同意する。「原作の方が美味い」なんてことになるかどうかは人それぞれだけれども。


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