「処女作にその作家のすべてがある」と言い出したのは誰か知らないが、アキ・カウリスマキ(当時26歳)の処女長編映画『罪と罰(Rikos ja rangaistus)』(1983年)にはピッタリの言葉だと思う。
処女作どころか冒頭5分弱、Harri Marstioがロック調(あるいは演歌調?)で歌うシューベルトの「セレナーデ」が流れる食肉加工工場、ヒッチコックの『サイコ』を想起させるシーンなどに、すでに後のカウリスマキ作品を暗示する旋律が通奏低音として鳴り響いている。
悲観的な世界観に基づく陰鬱としたストーリー、抑制的な身振り、少ないセリフ、過去の映画からの引用、といったカウリスマキ映画の特徴は、時と場所、登場人物を入れ替えれば、コメディ風の『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』も含め、ほとんど全てのカウリスマキ映画に当てはまりそうだ。
クラシック音楽を多用するところもカウリスマキ的だ。ドストエフスキーの同名小説が原作であるこの映画では、ショスタコーヴィチ《交響曲第5番》が映像に複雑な陰影を与えている。ラジオから流れる第三楽章、弦楽器が奏でる美しくも切迫感あふれるトレモロに促されるように拳銃の引き金を引くシーン、あるいは第一楽章の冒頭部分のカノンを背景に自問自答するかのようなダイアローグ、などが印象的だ。
「小津安二郎の『東京物語』を観てから、文学への夢を捨て、映画に自分自身の「赤いヤカン」を探すことにした」と語るアキ・カウリスマキ。結局「赤いヤカン」を見つけることはできたのかと問うのは、この映画を観たあとでは愚問であろう。
処女長編『罪と罰』には、映画的現実主義者で現実的悲観主義者の古風なフィンランド人、アキ・カウリスマキの素がたっぷりと詰まっている。この映画に「赤いヤカン」をいくつ見つけることができるだろうか。数えてみてもいいかもしれない。
ところで、ラヒカイネンが犯行に使用した拳銃はソ連時代のトカレフのように見える。拳銃に詳しい人がいたら教えてほしい。
Harri Marstioは、アキ・カウリスマキの、このままいけば遺作となる『希望のかなた(Toivon tuolla puolen)』(2017年)にも出演している。今年2019年1月に亡くなってしまったのが残念だ。
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