#031 半音階の和音のように、H・E・ベイツ「クリスマス・ソング」大津栄一郎 訳

Helsinki Joulukuu 2004
Helsinki Joulukuu 2004

雨の降るクリスマス・イヴの午後4時、レコード店の二階で声楽を教えるクララのもとに、一人の青年が訪れる。茶色のオーバー、茶色のソフト、こうもり傘、という出で立ちの青年は「クリスマス・ソング」を探している。

「ドイツのものじゃないかと思うんですが」
「あら」と彼女は言った。「それなら、もしかしたら、シューベルトの曲ですわ」
「とてもおかしな感じの曲です。でも私の知らない曲です。私たちは一度聞いたきりなんです」と彼は言った。

H・E・ベイツ「クリスマス・ソング」大津栄一郎 訳 (『 クリスマス・ソング 』所収)福武文庫 

明るく派手な妹エフィ、飢えた犬のように騒々しくクララにまとわりつくボーイフレンドのフレディ・ウィリアムソンらが、 クリスマス・イヴ の夜は独りで過ごそうと固く決心するクララをパーティーに引っ張り出そうとする。そんな夜9時すぎ、歌を思い出せなかった青年が再び閉店後のレコード店を訪れる。クララがシューベルト「セレナーデ」を歌った時、彼女の心が一瞬溶解し、青年はクララの心の動きを敏感に感じ取ってしまう。

レコードをさがし出したとき、彼女はまた最初の一節を歌った。「この曲には、深い優しさがあります」と彼女は言った。「とてもすばらしい優しさが」すると青年は急に狼狽したようだった。

同上

12月に入ってから数週間降り続いた雨が洪水となり、溢れた水が谷間の牧草地を覆う情景と、満たされない想いで溺れそうになっているクララの心情が重なる。「クリスマス・ソング」の曲名は判明した。しかし、名付けようのないクララの想いは、 解決しない半音階の和音のように、 行き先を失ったままなのかもしれない。

小説に「お姉さん」が出てくると、エレナ・ポーターの『スウ姉さん』を思い起す。音楽家である点も共通する。お姉さんというのは、損な役回りを押し付けられてしまう存在なのだろうか。世のすべての「お姉さん」におすすめしたい短篇だ。


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