僕ら夫婦は、足かけ3年間ほど学生としてフィンランドに滞在していた。1年目に、タンペレ郊外にあるkansanopisto(フィンランドの国民学校)で、モノクロプリントや古い写真技法などを学んだ後、翌年フィンランド南部のKarjaa(Karis)にあるLärkkullaというところで、英語とフィンランド語の勉強をすることにした。
Karjaaは、ヘルシンキとトゥルクの間にある小さな町で、フィンランドでは少数派のスウェーデン系の人々が住んでいる地域だ。学校や町中でもスウェーデン語をよく耳にしたが、スウェーデン本国の人たちが話す言葉と比べて、少しばかり古風な響きがあるようだった。スウェーデンがフィンランドを支配していた時代の名残りが、ここに住む人々の言葉の中に保存されているのかもしれない。もちろん僕たちには、スウェーデン語の微妙な違いはよくわからないが、Karjaaには、タンペレやヘルシンキとは異質でどこか古風な空気感があることをなんとなく感じていた。
Lärkkullaは、Karjaaの駅からは緩やかな登り坂を歩いて30分ほどの町外れに位置していた。そのすぐ奥には15世紀に建てられた教会(Sankta Katarina kyrka, Karis)と墓地があるだけで、その背後には僕たちがMusta joki(黒い川)と勝手に名付けた、美しい川が静かに流れていた。
Lärkkullaは、もともと教会関係の学校だったのか、教室と学生寮、キリスト教の礼拝堂があって、古い修道院のようだった。地下に降りて行くと、そこには音楽用の練習スタジオやストレージがあったが、僅かな照明がほの暗くともる廊下の陰には、 精霊たちが静かにたむろっているようだった。
「Lärkkullaの地下には暗室があるはずだ」
そう僕たちに教えてくれたのは、前の年に出会ったスウェーデン系フィンランド人の写真の先生だ。彼は、20年以上も前に、Lärkkullaで写真のワークショップを行っていて、地下に暗室があることを憶えていたのだ。
暗室の存在をLärkkullaの職員さんたちに尋ねてみても、最初はだれも信じてくれなかったが、建物のことを古くから知る教会関係者の一人が建築図面を引っ張りだし、そこに書き込まれた単語から、地下に暗室があることを見つけてくれた。鍵も発見されて、暗室の扉を開けたとき、現像液と酢酸を何年もかけて発酵させたような空気の重い塊が、ドロリと流れ出すのを感じた。
あの暗室で作ったポートフォリで、ヘルシンキ芸術大学(現在はアールト大学)・写真学部のNon-degreeに入ることができたのは、ちょっとした偶然と幸運が重なったことと、暗室を自由に使わせてくれたフィンランドの人たちの親切心があったからだと思っているけれど、あるいはひょっとしたら、あそこに棲んでいる精霊たちのおかげだったのかもしれない、と思うことが時々ある。今はどうなっているのだろう。こじんまりとした居心地の良い暗室だった。
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