隣接するゴルフコースから、ロストボールを探しにきた男、フィリップス(52才)は、海辺の砂丘で、白い砂のくぼみに埋まるように、全身をちぢこめて横になっている若い女に遭遇する。
朝から一日中ここにいたけれど、ゴルフボールなど見なかったし、「なんの音も聞かなかったわ」という女は、魅力的でありながら、どこか浮世離れした雰囲気をまとっている。女の砂を噛んだような返答に、男の下心を含んだ言葉が次第に乾いていく。
植田正治による砂丘シリーズのモノクローム写真を思い起こさせる、現実と幻影が交錯する密室的風景に、突然、色彩感豊かな女が生々しく浮かび上がる。
Suddenly, as she climbed up to the grassy crest of the dune, he was captured by the grace of her bare legs, the skin a fine pure cream under the brown-purple skirt. With astonishment he found himself really looking at her for the first time. She was rather tall, shapely and no longer crumpled.
H. E. Bates, “Lost Ball” (The Cornhill Magazine, 1959)
草原の丘を登るとき、茶色と紫色のまざったスカートの下から混ざり気のないクリーム色の美しい肌を見せている彼女の足の素晴らしさに、魅せられてしまった。自分がいま初めて本当の意味で彼女を眺めているのを、驚きの念とともに、知った。背は高めで、スタイルがよく、さきほどまでのちぢこまった様子はどこにもなかった。
H・E・ベイツ「ロスト・ボール」大津栄一郎 訳(『クリスマス・ソング』所収)福武文庫
女はゴルフボールを見つけると、 お気に入りの歌を口ずさみながら ( “I cover the Water-front. I’m watching the sea. Oh! When will my love come back to me ─ ” )、風に飛ばされてしまった自分の銀紙を探して砂丘を歩き周り、刻々と迫る夕闇のヴェールの向こう側へ消えてしまう。まるで砂浜にいた人魚が泳ぎ去るかのように。
虚無に触れる一歩手前の諦念を抱えた女の方へ男が魅せられていくように、読み手の気持ちもいつの間にか引き寄せられていく。
ところで、女が口ずさむ歌は、”I Cover the Waterfront ” (Johnny Green / Edward Heyman) と思われる。いろいろな歌手が歌っているようだが、ビリー・ホリデイのヴァージョンが好きだ。彼女の歌声を聴きながら読んでみるのもいいかもしれない。ビリー・ホリデイの歌と同様、繰り返し読みたくなる不思議な味わいの短篇小説だ。
海辺で孤独な時間を過ごす男を描いた、野呂邦暢の短篇小説「鳥たちの河口」を思い出した。
ビリー・ホリデイ “I Cover the Waterfront “、1947年カーネギーホールでのライブ。
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