#030 ジュンパ・ラヒリ「セクシー」、粉のかけ方に感心した

SASUNA Helsinki 2012
Helsinki 2012

一月のある日、ボストンのデパート〈ファイリーンズ〉の化粧品売り場で、客としてたまたま居合わせた男が、若い女に粉をかける。

ミランダは二十二歳。大学卒業後、故郷のミシガンを離れ、ボストンの公共放送のラジオ局に勤めている。粉をかけたのは、口ひげのあるハンサムなベンガル人で、名前はデヴ。既婚者だ。投資銀行に勤めている。

“Go ahead,” he urged, walking backward to his end of the bridge. His voice dropped to a whisper. “Say something.” She watched his lips forming the words; at the same time she heard them so clearly that she felt them under her skin, under her winter coat, so near and full of warmth that she felt herself go hot.
“Hi,” she whispered, unsure of what else to say.
“You’re sexy,” he whispered back.

Jhumpa Lahiri, “Sexy” (New Yorker, 1998)

「ほら、いいから」と、彼は反対の方向に引き返していった。ぐっと声を落として、「何か言ってみて」  その言葉が唇の上で動いたと見えたとたんに、くっきりと聞こえていた。いや、冬のコートをとおして肌にしみるほどすぐ間近に、たっぷりと温もりを感じたので、体が火照るようだった。
 「ハーイ」と、ささやいた。とっさに思いつかない。
 「きみはセクシーだ」と、ささやきが返った。

ジュンパ・ラヒリ「セクシー」小川高義 訳(『停電の夜に』所収)新潮クレスト・ブックス

クミンシードのパウダーのように、ミランダの孤独な心を、ほんのひとときにせよ温めた「セクシー」が、降り積もった雪が溶けるように彼女の心から消えていくとき、そこにはどんな風景が広がっているのだろう。

「セクシー」に縁がなく「おはぎ きなこ」のような粉っぽい人生に満足している人にも、あるいは「セクシー」なスパイスの風味を求める人にもおすすめの、セクシーな恋愛短篇小説だ。


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