フィンランドにいたころ、高熱を出して寝込んだことがある。2003年のクリスマス休暇中に、エストニアのタリンへ遊びに行って帰ってきた直後のことだ。
タンペレ郊外にある国民学校の寮に帰った翌日、午後から急に体がだるくなり節々が痛くなってきた。体温計で測ったら、インフルエンザ特有のかなり高い熱があった。感染したのがタリンでなのか、その前に立ち寄ったヘルシンキでなのかわからない。あるいは、既にタンペレで感染していたのかもしれない。
クリスマス休暇中の、雪深い森の中の人里離れた学校には、僕たち夫婦以外ほとんど誰もいなかった。ぼくらは携帯電話は持っていなかったし、学校のサーバーは不安定で、PCによるインターネット通信もあてにできなかった。また、自家用車もなく、ローカルバスは一日に二往復する程度だった。
アガサ・クリスティーのミステリー小説なら、エルキュール・ポアロが登場してもおかしくないような閉ざされた状況では、日本から持参していた葛根湯の風邪薬を、とりあえず飲んで寝る以外にできることはなかった。
薬は気のものというけれど、平生あまり飲まない薬をたまに飲んだからなのか、あるいは葛根湯が効いたのか、翌日にはケロッと熱が下がり体が楽になっていた。調子に乗ってベッドから起き出し、暗室でフィルム現像をしたりモノクロプリントを作ったりして、いつもどおり動き回っていたら、やっぱり熱がぶり返した。
結局そのあと年末までの三、四日は、せっせと葛根湯を飲んでひたすら寝て過ごした。その甲斐あってか、元旦には熱もほぼ平熱に下がり、起き上がって普通に生活をすることができるようになった。
藪医者のひとつとして、どんな症状にもとりあえず葛根湯を処方する、葛根湯医者といういのが古典落語に出てくるが、江戸時代には、葛根湯がある程度何にでも効く万能薬として、庶民の間に定着していたということなのだろう。渡芬する際に、いろいろある風邪薬の中から、日本の伝統的な風邪薬である葛根湯を選んで持っていったのは正解だった。
あのときは、せっかくフィンランドにいるのに寝ているのがもったいないと思ったが、インフルエンザであれ何であれ、熱を出して苦しい思いをして拵えた抗体が、自然免疫システムの一部に組み込まれ、後々、日本にいる現在でも自分を守ってくれているのかもしれないと思うと、なんだか不思議な気分だ。
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