重い語り口、鎌倉の古い日本家屋。小津安二郎監督がラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の小説を映画にしたら、こんなふうになるのではないか。
何か重要な「事実」がはっきりと語られないまま話が進んでいく。ピントの合っているところとボケているところが斑になった、古いモノクローム写真を見ているような不安感が漂っている。
My father bowed slightly. ‘You must be hungry,’ he said again. He took some fish to his mouth and started to eat. Then I too chose a piece and put it in my mouth. It felt soft, quite fleshy against my tongue.
Kazuo Ishiguro, “A Family Supper” (1982)
‘Very good,’ I said.
‘What is it?’
‘Just fish.’
‘It’s very good.’
父は頭を一寸下げた。「腹が減っているだろう」とまた言った。父は魚を口にもってゆき、食べはじめた。そこでぼくもその一切れを選び、口に入れた。舌ざわりが柔らかく、むっちりしている。
カズオ・イシグロ「夕餉」出淵博 訳(『集英社ギャラリー 世界の文学(5) イギリス4』所収)集英社
「じつに美味い」とぼくは言った。「これは何です?」
「ただの魚さ」
「じつに美味い」
元帝国海軍軍人の厳格な父とアメリカ帰りの息子のあいだには、どこかわだかまりがある。大学生の妹は二人のあいだで、一見中立的な立場を保っているようだがはっきりしない。
そんな三人が、河豚の毒にあたって亡くなった母の遺影の飾ってある部屋で夕餉の食卓を囲む。メニューは「ただの魚」の鍋。
登場人物に「美味しんぼ」の海原雄山、山岡士郎、栗田ゆう子を当てはめて読むと、まったく違う趣になってしまうので注意が必要だ。
カズオ・イシグロによる黄昏時のホラー。毒の含有率は高い。
コメント
[…] 日本語では、文学全集の中に入っているようで、じつぷり氏のブログで紹介されている。(フィンランドに住んでいたことがある人らしく、偶然の北欧つながりで親近感がわく。) […]
ホクオさん、コメントありがとうございます!