運が悪いというのか、タイミングが微妙にズレている「間の悪い人」がいる。持って生まれた気質なのか、環境に適応した結果なのか、周りに妙な違和感を与えてしまうオフビート感覚の豊かな人が。
タンペレ郊外の国民学校で同級生だったTiinaさんは、そんなオフビート感を漂わせていた。彼女と僕は偶然同い年で、お互い10代の頃に聴いていた80年代のロック・ミュージックの趣味があい、すぐに打ち解けて話すようになった。1988年にヘルシンキでのAC/DCのコンサートで買ったというトレーナーをよく着ていた。
彼女の間の悪さは、学校のあちこちで発揮された。暗室やカメラの機材を彼女が使おうとすると急に壊れて、プリントや撮影したフィルムが台無しになってしまったり。授業中、彼女が座っていたイス(イケア製)が突然崩壊し、彼女の身体もろともバラバラと床に崩れ落ち、ざわついた教室全体を一瞬にして沈黙させてしまったり。人一倍静かな環境を好む彼女の個室の隣にどういうわけかカラオケルームがあって、毎晩のようにフィンランド人の麗しいとばかりはいえない歌声に悩まされたり。
そのTiinaさんが、2010年の4月に名古屋の僕たち夫婦に会いに来てくれた。ユヴァスキュラの図書館でライブラリアンとして忙しく働く彼女が、やっと確保した1週間の休暇だ。僕たちのアパートに滞在しつつ、近所の川べりの桜を見て散歩したり、日帰りで京都の長谷川等伯展に行ったりと、4年ぶりの再開を喜びつつも1週間はあっという間に過ぎていくようだった。
アイスランドの火山が噴火したというニュースが飛び込んできたのは、フィンランドへの帰国も迫ってきた週の後半、木曜日だったろうか。エイヤフィヤトラヨークトルという、舌を噛みそうな名前の火山が大規模に噴火したニュースを最初に耳にしたときは、他人事のようにのんびりと構えていたが「飛行機が欠航するのでは?」と指摘すると、彼女の眼と口はこれ以上ないというぐらいにまん丸に大きく開いていき、顔からは、みるみる血の気が引いていった。
フィンエアーのオフィスに電話してみると、案の定ヨーロッパ方面のフライトはすべてキャンセルされていて、その後のスケージュールはまったくメドが立っていないという状況だった。Tiinaさんは、静かなパニックに陥りながらもユヴァスキュラの仕事場にメールを送り、実家のご両親に国際電話をかけていた。結局、翌週の火曜日か水曜日には、その週末に再開されるフライトのチケットが予約ができたけれど、気軽に遊びに来た異国の地で、こんな間の悪いことがおこるなんて想像もしなかっただろう。
僕としては、1ヶ月でも半年でも、噴火が収まるまで、我が家に好きなだけいてくれていいと思っていたので、彼女の名古屋滞在が長引いたことを内心喜んでいた。火山の噴火は、困ったことではあるが、自然災害なのでどうしようもないことだし、たまさか火山の神さまからプレゼントされたTiinaさんへの休暇だと思った。
彼女も開き直ったのか、控えめだった買い物にもスイッチが入ったようで、うちの奥さんと連れ立って、MUJIやタワーレコード、化粧品やファッション関係の店でノビノビとショッピングを楽しんでいた。「買い物で散財しているのは火山の噴火のせいだ」と言い訳しつつ。僕たちも予期しなかったTiinaさんと過ごす時間を楽しんだ。
彼女が日本に来て2週間が過ぎ、本当にいよいよ帰国する朝、僕たちはTiinaさんと中部国際空港まで一緒に行った。彼女同様、噴火の影響を受けたフィンランド人たちで混みあう中、泣きながらハグをして、ゲートのところで彼女を見送った。
その後、僕たちがユヴァスキュラの彼女のところを訪れたり、クリスマスカードやお互いの誕生日プレゼントをやり取りしたりして、今でも連絡を取り合っている。
先月のTiinaさんの誕生日に贈ろうと思って用意したプレゼントがまだ机の隅に置きっぱなしになっている。あとはカードを書いて郵便局へ持っていくだけなのに。タイミングをのがしてしまった。自分で言うのもなんだけれど、僕にも間の悪いところがある。彼女がそのことを覚えているといいのだけれど。
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