小春日和の勤労感謝の日の午後、大通りのすぐ裏の路地を自転車で通りがかったとき、空き地の奥に錆びついた古い井戸のポンプが目に入った。
カメラを向けてシャッターを切ろうとしたら、日影で何かがもぞりと動いた。よく見たら、短毛の茶トラの駄猫が、井戸のかたわらに寝そべっていた。じっとこちらを睨みつけている。昼寝を邪魔するヒトの気配を察知し警戒態勢に入ったのだ。
井戸に限ったことではないが、人間がこしらえたものは時間が経つにつれ、まわりの自然環境に溶け込み、だんだん自然物に近づいていくように思える。
この井戸はどうだろう。現役を引退し、やれやれとなり、老後は静かにクラシック音楽と読書三昧だ、と思っていたら、人間のかわりに猫が近づいてきた。猫に憩いの場を提供する第二の井戸生が始まった、のかどうか。
猫に寄り添われて、この井戸もまんざらでもなさそうだ。茶トラ猫にとって古い井戸のたもとは、安心して昼寝をすることのできる老木の根っ子のようなものなのかもしれない。ポンプの錆色と茶トラの毛並みが、互いに保護色の関係を築いている。
そこだけ、時間にブレーキがかかっているような、静かなラルゴ的空間。と思ったが、時計の針やメトロノームが刻むのとは違う時がゆるりと流れているようでもある。古い井戸と猫がいるからそう感じるのか、あるいは、そういう場所の空気感が猫を引き寄せるのか。どちらにせよ、こういう場所が近所にまだあるんだと思ったら、ちょっと嬉しくなった。
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