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鳥語力

日々
雀

同じ団地内の藪にある雀団地に生息していると思しき雀の一族が毎朝、僕を起こしに来てくれる。僕たち夫婦は雀らをまとめて「雀子(スズ子)」と呼んでいるが、窓を開けて雀子に「起きたよ、おはよう」と話しかけるところから、その日の雀語のレッスンが始まる。レッスン代は、北海道産のキタノカオリという強力粉使って、ホームベーカリーで焼いた食パンを小さくちぎって払うことになっている。

雀子は気まぐれなところがあって、特に寒い季節には熱心にやって来るが、暖かくなってくるとパッタリ来なかったりする。何か特別な事情があるのかもしれないし、別のところでも教えているのかもしれない。雀子の一族にはもう何世代にもわたって雀語を教えてもらっているが、 僕は語学が苦手なのでなかなか上達しない。 「まあまあ(Fair)」といったところか。小鳥に説教をしたとされる、聖フランチェスコのように「ペラペラ(Fluent)」と鳥語を話すには、まだまだ長い道のりだ。

猫語については、学習期間は長い。僕が10才ぐらいから猫語を身近に聞いているので、かれこれ30年上になる。「ネイティブ並み」とまではいかないが、「そこそこ(Moderate )」ではないだろうか。 ただ、最近は猫語を話す機会がめっきり減ってしまい、近所の野良猫さんや実家の三毛さんに会う時ぐらいなので、だいぶ錆びついてきた。できれば我が家にも猫語の先生に常駐してもらい、猫語の使用頻度を高めたいのだが、雀子との相性が気になるところでもある。

最近はヒヨドリも部屋の前の木の枝にやって来る。僕は、彼/彼女らのことを、フョードルさんと呼んでいる。ヒョードルさんは、僕にヒヨドリ語を教えてくれようとしているみたいだが、ヒヨドリ語はよくわからない。ちょっと甲高く、子音の発声に特徴がある。雀語とは異なったフォネティクスを有するようだ。「必要は発明の母」と大瀧詠一が言ったように、「必要は語学の母」だとするならば、ヒヨドリ語を習得するかどうかは今後の僕とヒョードルさんとの関係による。今のところヒヨドリ語の必要性は感じていないので、とりあえず「無料体験レッスン」を受けている段階だ。ただ同時に「二ヶ鳥語」を習得するのは難しそうだ。それにレッスン代についても、我が家の食パン事情が許さない。自分たちの食べる分がなくなってしまう。

うちの奥さんとは人語(日本語)で話しをする。ただ、前から気になっていたのだけれど、僕の言っていることが彼女にあまり伝わっていないのではないか、と不安に思うことがときどきある。「母国語だから100%意味がわかって当然」という勝手な思い込みを前提に話していると、(しばしばそうなってしまうのだけれど)ちょっとした言葉の行き違いで苛々して腹を立ててしまう。逆に「ぼんやりとでも何かが伝わればいいや」という楽観的で諦観の念を前提にした方が、伝わった時の喜びが大きいのではないか。

本当は、雀子やヒョードルさんと鳥語の話し過ぎで、僕の人語の方が怪しくなっていことが、「うまく伝わらない」原因なのかもしれない。だとしたら、鳥語もほどほどにしなければ。でもとりあえず、雀語で「畳の上に糞を落とさないように」と言える程度にはなりたいと思っている。


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