「校長先生の儀式」で必死に笑いをこらえた思い出

広告代理店に勤める友人から問いた話。或る打ち合わせの席上で、クライアントが理不尽なことを云い出した。彼らの意向に従って修正したプランを、前言を覆すかたちで否定されたのである。
友人は我慢したが、隣にいた同僚は堪えかねて叫んでしまった。
「でも、さっきそうおっしゃったじゃねぇか!」

穂村弘『絶叫委員会』筑摩書房

穂村弘の『絶叫委員会』、上記の一節を読んで涙を流して笑った。しかもツボにはまってしまい、しばらく笑いがとまらなかった。こんなに笑ったのは本当に久しぶりだ。

笑いがとまらないといえば、僕が小学6年生の時の、卒業式間近の出来事を思い出す。校長先生が各クラスを順番に訪れ「校長先生がお話」をする、というイベントがあった。

とにかく40分ほどの間「校長先生のお話」を静かに座って聞いていればよく、それが極度に退屈なものであったとしても、「校長先生の儀式」として生徒たちもそれを受け入れればいいだけのことであり、何の問題はなかった、ただし僕と隣の席のH君を除いては。

それは地獄のように苦しい時間だった。何がきっかけだったのかは思い出せない。突如、笑いがこみ上げてきてしまったのだ。

みんなが神妙な顔つきで静かに話を聞いている時に、自分だけ大声で笑うことなど、絶対にできない。そう自分に言い聞かせていたが、その緊張感が逆効果となり心の中の笑いが増幅する。こっそりと、しかしグリっと強く太ももの内側をつねることでなんとか笑いをこらえようと必死だった。

笑いには波があって徐々におさまっていくものだが、そんな時にふと隣の席を見ると、H君も僕と同じように、笑いをこらえて静かに体を震わせていることを発見してしまった。そうなるとせっかく収まりかけた笑いの症状が再発する。

H君も僕のことに気づいたらしく、笑いによる涙目でこちらを見返してきた。校長先生の話が淡々と進む中、僕たちは無言にお互いを励まし合う同士となり、なんとか最後まで事なきを得ることができた。

もう30年以上も前のことで、校長先生の話の内容はまったく憶えていない(笑いをこらえるのに必死で耳に入っていなかった。申し訳ありません)。卒業式を前にした時期の寂しく悲しい気分とともに、この出来事を鮮明に憶えている。

でも、なぜ笑ってはいけない状況で笑いがこみあげてきてしまうのだろう。それは極度の緊張と退屈が同時に発生するときに起こりやすいようだ。

退屈なときほど些細な出来事に気づいてしまうし、かしこまった、また同時に悲しみの伴う儀式においては緊張感によるストレスを和らげようとして、笑いのシステムが起動するのかもしれない。

お葬式という儀式も緊張感のもとで笑いのシステムが発動する理想的な状況だ。こう言っては何だが、よっぽど親しい人でないかぎり、お葬式は退屈なものだ。

お坊さんがお経を読み上げているときに笑いがこみ上げてきて困った、という体験をよく耳にするが、これは道徳的に不謹慎であるかどうかという以前に、人間に備わっているの不思議ではあるが普遍的な感覚作用の一つなのだろう。

穂村さんによるところの「偶然性による結果的ポエム」が集められた『絶叫委員会』には、笑えるものだけではなく、どこか悲しさや寂しさを伴った言葉もおさめられている。

笑いと悲しみという感情は、心の奥深くでつながっており、それが記憶をたぐり寄せる手綱となっているにちがいない。


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