そのほか夜行獣館の動物については、何匹かがはっとするほど大きな眼をし、射るような眼差しを投げていたことだけが記憶にとどまっている。その眼差しは限られた画家や哲学者たちの、ひたすら眼を凝らし、ひたすら考えることによって、周囲を取り巻く闇を透かし見ようとする眼差しと同じものであった。
W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』鈴木仁子 訳 白水社
W. G. Sebald, “Austerlitz” 2001
ミラノの哲学者 F.F.さんとは、2006年の2月頃に、ヘルシンキ美術大学で知り合った。
当時、ぼく(と、うちの奥さん)が学生として在籍していた写真学部では、モノクロプリントのワークショップの成果として、アラビアファクトリーに隣接する大学の最上階のギャラリースペースにおいて、ささやかな展覧会を開催していた。
ちょうどそのころ、F.F.さんは講演のため同大学を訪れていたのだが、偶然に、あるいは写真学部の誰かの手引きにより、最上階のギャラリーに導かれると、彼の批評を中心にした作品の講評会が、講演の合間を縫って急遽開催されることになった。そのことを知らなかったぼくは、講評会には出席していなかった。
冬の太陽光がぼんやりと拡散するギャラリーで、美術とイメージの領域を探究する哲学者の透徹した眼差しにさらされた写真作品が、ラテンの言葉によって丁寧に切り刻まれていくなか、「あなたの作品は、彼から高い評価を受けていましたよ」と、講評会に居合わせた学生や暗室の担当教授から伝え聞いたのは、その翌日、すでにF.F.さんがヘルシンキを発ったあとのことだった。
作品に対する好意的な評価を大変名誉に思うとともに、真冬のフィンランドを訪れた南欧の哲学者への記念にと、後日郵送でそのモノクロプリントを彼にプレゼントした。差し上げた作品は、それ以来ミラノにある彼の自宅の壁に飾っていただいているようだ。
その後しばらく途絶えていたF.F.さんとの交流が、今年(2020年)の初め頃から活発になってきた。写真の古典的技法により手漉きの三椏紙上に焼き付けたモノクロプリントの作品をイタリアへ向けて発送したのは、ウイルスが南欧で猖獗を極める直前の2月のことだった。
郵便物は通常通り、ほぼ一週間で無事ミラノに到着したが、発送があと一週間遅れていたら、どうなっていたかわからない。
真冬のフィンランドでイタリア人哲学者と知り合えたことの不思議を思うにつけ、お互いとそれぞれの家族の健康を願わずにはいられない。
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