フィンランドの氷湖の上で迷子になったことがある。2年前の三月、写真のワークショップで講師をしながら、1ヶ月ほどフィンランドのタンペレ郊外の国民学校に滞在していたときのこと。
受け持ちのクラスのない間には、あたりの森や凍った湖を散歩しながら写真を撮っていた。その年は三月に入っても、湖の氷は歩くのに充分な厚さを保っていたが、三月も終わりに近づき湖氷も少しずつ解けてきていたので、最後のチャンスだと思い対岸まで歩いてみようと思い立った。
湖の対岸まで歩いてたどり着いたまではよかったが、引き返す途中で道がわからなくなってしまった。湖の上なので見晴らしはとても良いだろうし、出発した対岸に向かって帰ってくるのは簡単だろうと軽く考えて失敗した。
対岸から引き返しながら、氷上の夕焼けの美しさに見とれて夢中になって写真を撮っているうちに、いつの間にかだいぶ暗くなってしまっていた。馴染みのあるはずの岸辺は、他の似たような木々のシルエットと見分けがつかなくなっており、どの岸に戻ればいいのかがわからなくなってしまった。
夏時間の始まる前日で、時計と体の時間感覚がずれてしまったのかもしれない。どんどん暗くなって、ほとんど対岸の違いがわからなくなった。20センチぐらいの雪が積もっている氷上を三脚とデジタル一眼レフカメラ、数台のコンパクトカメラを担いで4時間以上は歩き回っていたので、だいぶ疲れていた。
野ウサギや鳥たちの足あとを脇に見ながらスキーヤーの残していったシュプールをたどって、なんとか出発した岸辺を見分けようとしたが、判断に自信が持てなかった。
これはマズイなと思って、ダウンジャケットのポケットに入っていたノキアの携帯でうちの奥さんに電話をかけて救援を頼んだ。彼女は暗室でフィルム現像をしている最中だったが、ちょうど手が空いたから今から湖岸まで来てくれるという。その前に部屋によって、枕元のIKEAの椅子の上に置いておいたミニマグライトを持ってくるよう、そして岸についたら光を灯してほしいと頼んでおいた。
すでに日がとっぷりと暮れて気温も下がって来ていたし、このまま湖氷の上で夜を過ごすことはできないと思った。最悪、どこかその辺の岸にあるサマーコテージにこっそりお邪魔させてもらって、一晩を過ごそうかとも考えていたら、20分ほどして、ある岸辺で光が灯った。ほぼ同時にポケットの中で軽快にノキア・チューンが鳴った。
遠くに灯ったあかりは、静かだけれど温かく光っていた。周りに人工的な光源がほとんどない上に、暗く冷える氷湖上で待っていただけに、よけいに強く見えたのかもしれない。あとで地図で確認したら、本来戻るべき湖岸から500メートルほど離れた地点にいたことを知った。
昔見た、自然の暗闇の中でポツンと静かに発光するマグライトの広告写真のような状況に、たまさか身をおくことになってマグライトの真の実力を思い知った。
LEDランプもいいけれど、色温度の低いマグライトの温かみのある光は強く美しいと感じる。それ以来、このMINI MAGLITE AAが写真撮影の際の必携品リストに加わったのは言うまでもない。そして、うちの奥さんにもしばらくの間、頭が上がらなくなってしまったことも。
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