色という色、形という形がパールグレーの靄(もや)に溶け、明暗も色の濃淡も失われて、輪郭の定かならぬ、光だけが息づく階調が存在するようになるのです。すべてがおぼろに霞む中で、ほんの一瞬なにかの影がふっと浮かび上がるー今でも鮮明に憶えているのですが、ふしぎにもその現れては消えるたまゆら(玉響)の儚さこそが、そのとき、私に永遠の感触のようなものを与えたのでした。
W・G・ゼーバルト『改訳 アウステルリッツ (ゼーバルト・コレクション)』白水社 鈴木仁子訳 / W. G. Sebald: Austerlitz
時々、ただ、ボーっと空を眺めて時間を過ごすことがある。今日もそんなふうにして空を眺めていたら、いろんなことが頭に浮かんできた。ボーっとしているようでも案外いろんなことを考えているのだなと思った。
名古屋は梅雨になったのだろうか。以前は、気象庁が梅雨入りを「宣言」していたけれど、最近はあまり聞かなくなった。「宣言」した直後に、真夏の青空が広がったりして、「宣言」する意味もなくなってしまったからなのだろうか。
気象庁の人も天気相手に、責任を取りたくないと思ったのだろう。今日から梅雨です、とか、今日で梅雨が終わりました、なんてキチンと決めることはできないということに気がついて、「宣言」をやめたのは真っ当なことだと思う。ともあれ、きょうの名古屋の空がグレーなのが、なによりも梅雨に入っている証拠だろう。
何色が好きですか、と問われれば、何の迷いもなく、グレーです。と答えることができる。梅雨の季節はたしかにあまり気持ちのいいものではないかもしれないけれど、グレーの空の色が美しいという意味では個人的には大好きな季節だ。なんとなく温かくて、穏やかに心落ち着く色だ。
アメリカの写真家、アンセル・アダムス が開発したゾーンシステムの主にモノクロフィルムにおける写真撮影術では、18%反射率のグレーが露光の基準になっている。
ゾーンシステムは、今でもデジタルカメラのホワイトバランスの決め方やAdobeのPhotoshopのグレースケールの考え方のモトになっているようだ。
グレーという色は美しいと同時に、光の強弱をグレースケールに変換して白と黒に分ける基準にもなっている。グレーは美しさと機能を兼ね備えた、なかなかどうして立派な色だと思う。
頭の中も、いつも白黒はっきりとさせてばかりでは疲れてしまう。たまには18%ぐらいのグレーにリセットして、周りの出来事をぼんやりと眺めてみる時間があってもいいのだ。
ニール・ヤングの中でもちょっと異色なアルバムかもしれないが、大好きなアルバムだ。特に、2曲目の《See The Sky About To Rain》を聴きながら、グレーの空をながめるのが気持ちいい。
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