ところで、部屋に飾ってある「海の絵」から海水が溢れ出て氾濫し、溺れてしまう、というような話をついうっかりとでも信じることのできる人がいるだろうか?
わたしの友人のアクセルセンは、立派な才能とセンチメンタルな気質をもった、若いノルウェー人の画家である。酒を飲んでいない時、彼には才能があり、その他の時にはむしろセンチメンタルであった。
アルフォンス・アレ 「奇妙な死」 澁澤龍彦 訳(『怪奇小説傑作集4 フランス編』所収 Une Morte Bizarre: Alphonse Allais)
ノルウェー人画家のアクセルセンは恋人のお気に入りであるヴァーゲン湾(Vågen, Bergen)の風景を海水を含ませた絵具で水彩画で描き、それを彼女にプレゼントした。
あるときル・アーヴルを襲った大津波の日に、彼女の別荘に飾ってあったその絵の中の海も同調、氾濫して、絵から溢れ出した海水で、その恋人は溺れ死んでしまった。
ル・アーヴルの「小さな煙草屋の店裏の座敷」でスヴェンスカ・ポンスを前にしてアクセルセンは、このような話を「わたし」に語り、「海豹のように」泣いた。
アクセルセンは海の風景のなかに小舟を描いておけばよかったのだ、と僕は思った。そうすればその恋人は溺れずにすんだかもしれない。
でも、彼女が絵の内側に向かって小舟を漕いでいってしまったら?そうだとしても、その恋人は絵の中で半永久的に存在できたかもしれない。少なくとも次の大津波が来るまでは。
「語り」と「騙り」がほとんど同義であるかのような、しかしユーモアとナンセンスが爽快な法螺話。
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