PR

誕生日に見た夢のこと

日々

2週間ほど前のこと。未明に寝苦しくて目を覚ました。汗だくだった。九月に入ってもまだ蒸し暑い夜だったが、そんな時間に目を覚ましたのは夢のせいもあったにちがいない。

夢の中でぼくは、数人の仲間と廃墟のビルの瓦礫に囲まれた場所に立っていた。突然銃声が鳴り響き弾が脇腹をかすめていった。スナイパーの姿は見えない。どこか離れたところから狙っているのだ。瓦礫に身を隠しながら逃げる。何発かの銃弾が瓦礫の間をかすめて飛んでいく。もう助からない、ここで殺されるんだなと観念したとき、目が覚めた。

枕元に常備してあるノートに、いつもそうするように夢の内容を書き留め、目覚まし時計の時刻を書き添えるとまたすぐ寝てしまった。

実はその日は自分の誕生日。死と再生、変容のはじまり、そう考えると誕生日に見る夢としては意味深かもしれない。でも神様がいたら言いたい、どうせならもっといい夢みせてくれと。

その翌日、アメリカのユタで著名な活動家の若者が銃撃される事件があった。アメリカ山岳部夏時間の9月10日午後12時20分頃、日本時間に換算すると9月11日午前3時20分ごろである。

あれっ、と思って夢を書き留めたノートを見たら、ぐにゃぐにゃの筆跡で3:20と書いてある。前夜の悪夢からちょうど24時間後の出来事だ。ユングのいう黄金のスカラベというやつだろうか。

自分が見た夢とアメリカでの暗殺事件の間になんの因果関係もない、はずだ。でももし、夢の中で自分が銃弾に倒れていたら、ひょっとしたら、現実世界であの若者は助かっていたかもしれない、そんな非現実的な考えが脳裏をかすめた。

Lost / Morrissey

コメント