フィンランドの国民学校の学生寮には、セントラルヒーティングが完備しており、真冬でも半袖で過ごせるくらい暖かだった。
寮内は全面禁煙で、個室はもちろん、コモンスペースでも煙草を吸うことは禁止されていた。また、建物内で空気が循環し換気する空調システムがあったので、こっそり煙草を吸っても、各部屋の通気孔をとおして煙が伝わり、すぐバレてしまう。
金曜日になると(フィンランドの週末は金曜日に始まる)、ほとんどの学生は実家へ帰省してしまい、普段はにぎやかな寮がひっそりと静まり返る。実家が遠方だったり、帰省を面倒くさがる学生など、少数ながら学生もいたが、その顔ぶれはだんだん固定化されていった。
ある冬の週末の深夜のこと、常連の男子ら数人が缶ビールをかかえて、廊下の一番奥の部屋にいそいそと向かう後ろ姿を見かけた。しばらくすると、自室の通気孔の奥からくぐもった笑い声が響いてきた。煙草のような匂いもうっすら漂ってきて、ちょっといやだったけれど、宴会でもやっているのだろうと思い、そのまま寝てしまった。
その朝方、こんな夢をみた。
紫色の靄に烟る薄暗い芒ごしに、水晶のように透明でキラキラと輝くナシ湖が見えている。幾万という白鳥と鶴の群が湖面を埋め尽くし、があがあ、ぐうぐう啼いている。その様子をうっとりと眺めていると、何かの拍子に、鳥たちがぎゃあぎゃあ叫びながら、一斉に舞い上がった。鳥たちは金色銀色にキラキラと発光し、桔梗色の空を埋め尽くした。金銀の箔をふんだんに使った琳派や狩野派の屏風絵、あるいは加山又造の『千羽鶴』の世界に迷い込んでしまったようだった。
ぼくが強烈な幸福感に包まれる夢の体験をしていた時、通気孔の向こうで居残りの男子たちが何かを吸引していたとするなら、それは煙草ではなく、大麻(カンナビス)だったのではないかと疑っている。大麻のことをスラングで420とか4:20というが、まさにぼくが夢を見ていたであろう時間帯、宴もたけなわだったと思われる。
だとすると、寝ている間に、わずかではあれ、大麻を受動吸引していた可能性がある。同室のうちの奥さんは、なんともなかったようなので気のせいかもしれないが、耐性には個人差があるだろうし、なんとも言えない。
居残り組の常連であり、その部屋の主だったフィンランド人の友人に直接確かめたわけではないが、日頃の言動や状況証拠などを考えると嫌疑は濃厚だ。ただ、こういうのもなんだけれど、縁起の良い夢だったし、悪くはなかった。あんな吉夢はなかなか見えるものではない。
ところで、学生寮にはそれぞれ名前がついていて、その寮名は「Kipinä」といった。直訳すれば「閃光」とか「火花」である。政治家で社会主義者でもあったこの学校の創立者は「切磋琢磨」という意味を込めて命名したのではないだろうかと想像する。
そんな創立者の理想とは裏腹に、あの週末を寮で過ごした学生たちの脳内で、どんな閃光が輝いていたのかは知る由もない。
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