友人のフィンランド人映像作家の夫妻が、名古屋に滞在していた夏のある朝「すぐ外の電信柱から、アラーム音がうるさくて、朝早くに目が覚めてしまった。あのノイズは何だ?」と、不満を漏らした。
よくよく話を聞いてみたら、ノイズの素は蝉だった。なんだ、蝉の鳴き声か、と思った。夏だから仕方がない。人工のノイズではなく、自然のことだと説明したが、よくわからないような顔をしていた。蝉の鳴き声は、外国の人には耳障りなノイズに聞こえるのかもしれない。
ところで、小津安二郎の映画『東京物語』(昭和28年公開)で、蝉の鳴き声が聞こえてくる場面がある。どれも尾道のシーンばかりだ。
臥せる妻と看病する夫の場面、それと次女役の香川京子が「行って参ります」と言って、老夫婦と一緒に暮らしている家の玄関から出かけるシーンだ。この玄関のシーンは冒頭部分と終盤で、微妙にトーンを変えながら三回反復される。
一方、東京の場面から聞こえてくるのは、戦後、急速に復興しつつある街が生み出すノイズばかりで、蝉の鳴き声は聞こえてこない。あたかも東京には蝉などいなかったかのようだ。
当時、ヘルシンキの芸術大学の映画学科に籍を置き、小津の映画もよく観ていた友人夫妻の耳には、『東京物語』で鳴いていた蝉の声はどんなふうに聞こえていたのだろう。
そもそもフィンランドは静かなところだが、6月下旬から8月にかけて、夏の鋭い日差しはあるものの、ややもすると冷ややかな空気感に、短い夏への名残惜しさが加わり、なんともいえない寂しげな静けさに包み込まれる。もちろん蝉はいない。
蝉の一生が6年なら、今年鳴いているのは、友人夫妻が日本に滞在していたときの孫世代なのかもしれない。そんなことをあれこれ考えていたら、毎夏、当たり前のように聞こえてくる蝉の鳴き声が、なんだかありがたいことのように思えてきた。
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