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記憶の金接ぎ

日々
Muumi Mug
Muumi Mug

10代の頃から30代後半ぐらいまでは、映画館でよく映画を観ていた。ロードショー系、ミニシアター系問わず、映画館にはしょっちゅう足を運んでは真っ暗な中でスクリーンに投影される映像の物語に身を沈めていた。

最近は以前ほどひんぱんに映画館に通わなくなってしまったけれど、あの時観て、もう一度観たくなるという映画がたくさんある。そういった映画をせめてDVDでもいいから再び観たいなと思って、近所のDVDレンタル屋に探しに行っても、ロードショー系のものは別として、お目当ての映画が見つかる可能性は残念ながら低い。

いわゆる「韓流」のコーナーは増えているようだが、ぼくの好きな韓国映画はそこにはない。また「中国」コーナーの棚も歴史モノを中心に増えてきているような気がするが、お気に入りの中国映画のDVDに出会うことも稀である。

中国の映画監督、張芸謀(チャン・イーモウ)の『初恋のきた道』という映画も、だいぶ以前に観て、最近また観たくなった映画の一つだ。農村に赴任してきた先生に一目惚れする、ヒロインのチャン・ツィイーがとても可愛く、いじらしい。

この映画の中で、チャン・ツィイー扮する村の娘が、想いを寄せる先生のためにお弁当を作ってもって行くのだが、転んで器を割ってしまう。彼女のお母さんがこのバラバラになった器を直してほしいと、村を渡る金接ぎ師に頼むのだが、「こんな安い器を継いだら継ぎ代のほうが高くつくが、それでもいいのか」という金接ぎ師の言葉に対して、お母さんは「娘の想いの詰まった大切な器なので値段が高くなってもかまわないから継いで欲しい」と答えるシーンが、とても印象に残っている。

10年以上前に観た映画なので、細かい所は記憶があいまいだ。特にその器に載っていた料理が何であったのかが思い出せない。とても気になる。そのパーツがぽっかりと抜けていて、欠落したシーンになっている。

記憶の中で欠落した部分が、なぜか急にフォーカスされてくると、昔観た映画をもう一度観たくなるのかもしれない。時間とともに別のものに置き換わったり、無くしてしまった映像の記憶の断片を継ぎなおしたいと思うのかもしれない。

今どきは、ネットやテレビの有料チャンネルを利用すれば、見たいものは自宅で簡単に、ある程度見ることができるのだろう。

ただ、映画のネット配信サービスに加入しておらず、テレビも所持していない我が身ではレンタルDVD屋か映画館に頼るしかない。時間の経過が縦に横に継いでくれた記憶の断片だが、そろそろリノベーションが必要な時期になってきているのだが、しばらくの間それは叶いそうもない。


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