ものを捨てることは、私にとって主義でも美学でもありません。
中崎タツヤ『もたない男』新潮社
ときどき、「ものを片付けたい、捨てたい」という捨て欲にかられることがある。ところがそういうときには「もったいない」という気分もあって、にっちもさっちもいかなくなる。
捨てたいのに捨てられない。そんな捨て欲と所有欲の因業なダブルバインド状態に陥ってしまったときには、「中崎タツヤならどうする?」と唱えてみる。
20 ルビッチならどうする?
用途と用例
◎行き詰まりを脱する
◎私淑により自分を高める。レシピ
読書猿『アイデア大全』フォレスト出版
これといった人物を1人定めておき、行き詰まったとき「彼/彼女なら、どうするだろうか?」と考えてみる。
ビリー・ワイルダーの「ルビッチならどうする?」や、孟子の「孔子ならどうする?」の、〇〇ならどうする?に倣って、〇〇に中崎タツヤを代入してみる。
中崎タツヤを、ものを捨てるときのインスタント私淑として召喚するのだ。すると不思議なことに、憑きモノが落ちたように簡単に、ものを捨てられるではないか。気持ちいい。
ただ最近は歳のせいだろうか、だんだん欲がなくなってきた。本とレコード、CDに関しても捨て欲が湧いてこない。
ただ、捨て欲は減ったけれど所有欲はそのままなので、本やレコードは増えていく一方だ。色即是空、空即是色とはこのことだろうか。そういうことなので、仕様のないことと諦めている。
本を買っても読んだら捨てます。
中崎タツヤ『もたない男』新潮社
というか、読むそばから読み終わったページを破って捨ててしまうこともありました。
(中略)
私にだってときどき捨てたくないような本があります。
例えば、山田風太郎さんの『人間臨終図鑑』は何回も買い直していて、最初のハードカバーA5判箱入上下巻は四~五年も、自宅に置いておきました。
実家と同じ町内(名古屋市)に中崎タツヤが住んでいたことがあったらしい。
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