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#038 ジョン・チーヴァー「巨大なラジオ」村上春樹訳、ザブザブ読める

短篇小説
ジョン・チーヴァー「巨大なラジオ」村上春樹 訳(『巨大なラジオ / 泳ぐ人』新潮社)
ジョン・チーヴァー「巨大なラジオ」村上春樹 訳(『巨大なラジオ / 泳ぐ人』新潮社)

たとえば1970年代日本で、陽の当たる屋上で寝転んでいる忌野清志郎(高校生?)の、内ポケットのトランジスタ・ラジオから流れてくるのは、リバプールやベイエリアからのホットなナンバーやメッセージだったりするが、1940年代アメリカ、サットン・プレイス近くのアパートメント・ハウス12階に住む、ジムとアイリーンのウェストコット夫妻の居間にある古いラジオからは、シューベルトの弦楽四重奏曲が流れていた。

Their radio was an old instrument, sensitive, unpredictable, and beyond repair. Neither of them understood the mechanics of radio—or of any of the other appliances that surrounded them—and when the instrument faltered, Jim would strike the side of the cabinet with his hand. This sometimes helped. One Sunday afternoon, in the middle of a Schubert quartet, the music faded away altogether. Jim struck the cabinet repeatedly, but there was no response; the Schubert was lost to them forever.

John Cheever, “The Enormous Radio” (New Yorker, 1947)

 彼らの所有するラジオは旧式の機械で、不安定で、予測しがたく、既に修理の限界を超えていた。そして二人ともラジオの構造を──というか自分たちのまわりにあるすべての器具の構造を──理解していなかった。機械の具合が悪くなると、ジムはキャビネットの脇腹を手でどんと叩いた。それでうまくなおることもあった。ある日曜日の午後、シューベルトの弦楽四重奏曲の途中で、音楽が霞んでそのままそっくり消えてしまった。

ジョン・チーヴァー「巨大なラジオ」村上春樹 訳(『巨大なラジオ / 泳ぐ人』所収)新潮社

 彼らのラジオというのは、感じやすくて気まぐれで、もう修理のきかなくなった古いしろものだった。二人ともラジオの器械のことは──いや、周囲をとりまくもろもろの器具についてもそうだが──ぜんぜん知識がなかった。だから、調子がおかしくなると、ジムがキャビネットの横をピシャピシャひっぱたく。すると、ときには、それで直ることもあった。だが、ある日曜日の午後のこと、シューベルトの四重奏曲のまっただなかで、急に音が小さくなり、ついにパッタリととまってしまった。ジムが例によってパタパタとラジオの横っぱらを叩いたが、何の反応もない。シューベルトはそれっきり永久に失われてしまった。

ジョン・チーヴァー「非常識なラジオ」鳴海四郎 訳(『ニューヨーカー短篇集Ⅱ』所収)早川書房

ジムが注文したユーカリ材でできた大きなキャビネットの新しいラジオは、シューベルトやモーツァルトだけではなく、杜翁が言うところの、不幸な家庭のそれぞれ違った不幸そうな出来事や会話を、不条理にも受信してしまうのだった。

同じアパートメントに暮らす住人たちの不幸な様子に耳をそばだてているうち、増幅する不安感が次第アイリーンを飲み込んでいく。その姿にPCやスマートフォンを片時も手放そうとしない現代の人々を重ね合わせずにはいられない。

“The Enormous Radio” とは、自分が相対的に小さく孤独で、自分が自分でなくなるように感じさせる装置のメタファーとして捉えることもできそうだ。

そんなときは、「ラジオ」のスイッチを切り、外に出て陽の当たる屋上かどこかに寝転び、ぼんやりと空でも眺めて過ごすといいのだが。

チャンドラーでは肌に合わなかった村上春樹の文体だが、チーヴァーでは、25mプールを何度もターンしながら、クロールでザブザブと泳いでしまうみたいに読み進むことができた。

ジョン・チーヴァーは、大半の短篇小説を下着のパンツ姿で執筆していたそうだ。村上春樹も競泳パンツ姿で翻訳執筆をしている、なんてことはないと思うが実際はどうなんだろう。

ジョン・チーヴァーの英語はわりと読みやすいので、英語と日本語翻訳の両方を読み比べてみるのも面白いかもしれない。また、『ニューヨーカー短篇集Ⅱ』(早川書房)に「非常識なラジオ」として鳴海四郎の訳がある。


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