「シベリヤはどうしてこう寒いのかね?」
チェーホフ「シベリヤの旅」神西 清 訳(『シベリヤの旅 他三篇』所収)岩波文庫
「神様の思召しでさ」と、がたくり馬車の馭者が答える。
「こんなところにも人間が住んでいるんだ」
中部国際空港セントレア発のフィンエアーの機体がヘルシンキ空港に着陸し、滑走路をターミナルに向かってゆっくりと旋回する途中、近くの座席にいた二十歳ぐらいの女の子が、ポツリと漏らした言葉が耳に残っている。
傲慢な感じではなく、その口調にはむしろいくぶん感心したようなところさえあったが、まるで地球から何万光年も離れた辺境の惑星に連れてこらてしまったかのような不安な面持ちで、二月初旬の、灰色の空と大地の溶け合った、寂寥感あふれるフィンランドを客席の窓ごしに眺めていた。
半分その女の子に同感しつつも、少しばかり考え込んでしまった。たしかにフィンランドの冬は寒い。特に一月下旬から二月初旬頃は、シベリアの強力な寒波がフィンランドをくまなくおおいつくしてしまうことがままある。
しかも、意地悪なトロールの仕業なのか、そういう時に限ってセントラルヒーティングがたびたび故障するのだけれど、そんな時にはどうしてこんな寒いところで人間が暮らしているのだろう、という気分にもなった。
でも、狭い範囲だけれど、個人的な交友を通して「こんなことろ」に暮らしているフィンランドの人たちがとても心優しくて親切だ、ということを実体験として知っている。
もし仮に「温暖だが冷たく不親切な人たちが暮らす国」があったとして、フィンランドとその国のどちらかを選ばなければならないとしたら、迷わずフィンランドを選択するだろう。
そんなフィンランド人の心優しい気風はどうやって出来てきたのだろう? 長くて暗い冬の厳しい寒さが関係しているのかもしれないが、それはわからない。
これだけ寒いところでは、よほど親身になってお互い助け合わなければ生きていけない。そのわりには人間関係は、湿気の少ないフィンランドの雪のようにサラサラとしている。それとも彼らの内面ではドロドロとしたものがとぐろを巻いているのだろうか。
そういえばアキ・カウリスマキの映画に登場するフィンランド人たちは、みな心優しいのだが、すっきりとしない何かをそれぞれの胸のうちに抱えているように見える。
Juhla Mokka、Karhu、Fazerin Sininenとsalmiakkiなどにペシミスティックなユーモアをたっぷり加えてぐるぐるとかき回し、タバコでしっかりと燻して冬の間薄暗いところで発酵させる、それを何年か続けると出来上がるであろう何かを。
フィンエアーの機内で見かけた女の子にとってフィンランドは、フランスやイタリアへ行くときの乗り継ぎポイントでしかないのだろう。でもたまには「こんなところ」に途中下車(と言うのだろうか飛行機の場合)してみたらいいと思うのだが。
他のヨーロッパ諸国にはない、目新しい親近感をフィンランドにおぼえて好きになってしまうかもしれないし、実際そういう人を少なからず知っている。実のところ、ぼく自身もそのうちの一人であるのにちがいない。
『シベリヤの旅 他三篇』チェーホフ/神西清訳は、岩波文庫「2017年〈春〉のリクエスト復刊」38点43冊、にリストアップされている。丸善にはあったのに、どういうわけかアマゾンではみつけることができなかった。
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