「カリギュラ効果」という心理学用語がある。ローマ皇帝のカリグラが由来らしい。禁止されると、かえって興味が刺激され、やってみたくなるという心理のことだ。
『創世記』のアダムとイブが、禁を破って善悪の知識の実を食べ、エデンの園を追放されてしまう、というのも「カリギュラ効果」の有名な実例かもしれない。
一方、民俗学などには「見るなのタブー」という用語がある。「見てはいけない」というタブーを破った結果、悲劇的で恐ろしい結末に至る神話や民話の類型パターンだ。「禁室型」とも言うらしい。ギリシャ神話の『パンドラの匣』や日本民話の『鶴の恩返し』が有名だ。
「そこでだ、くれぐれも言っておくが、この籠には、ぜったいにさわらんようにな。以前のわしなら、自動車を持っておったから、こいつもいっしょに運んでしまったところだが、まさか、バスに持ちこむわけにもいかん。いじったり、のぞいたりしてはいかんぜ。きみたちの良心にうったえるからな。ぜったいに、この覆いを取らんように!」
ヘンリイ・カットナー『住宅問題』宇野利泰 訳(『怪奇小説傑作集2 英米編2』所収)Housing Problem: Henry Kuttner (1944)
アメリカの小説家、ヘンリイ・カットナーの短篇『住宅問題』には、「カリギュラ効果」と「見るなのタブー」の類型が描かれている。強く禁止されているいるにもかかわらず、と言うか、だからこそ「籠の覆い」は解かれてしまうのだが、その結果どんな悲劇、恐ろしいことが起こったのか?
荒俣宏が「こんなにうつくしい妖精物語は読んだことがない」といった意味のコメントをどこかに書いていたと記憶している。確かに「美しい妖精物語」であるが、「恐ろしい妖精物語」でもある。僕だったら、タブーを破ったことを強く後悔するに違いない。
そもそも、この短篇小説「住宅問題」の「問題」が問題である。そこにどんな妖精が住むのかが「問題」ということなのだろうか? 良い妖精が住むから良い住宅なのか? 良い住宅だから良い妖精が住み着くのか? 住宅が悪いと悪い妖精が住み着くのか? 「住宅が先か、妖精が先か」の建築学的、妖精学的な論争に発展しそうな、奥の深い問題をはらんだ小説だ。
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