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バーネットの『小公子』に心が安らぐ

日々
猫ヶ洞池 2020年12月
猫ヶ洞池 2020年12月

年末年始の読書用にと、図書館で借りてきた10冊ほどの本のうち、小晦日から読みはじめたエミリー・ブロンテの『嵐が丘』を正月に読み終え、ヒースクリフとキャサリンのムーアに別れを告げると、口直しというわけでもないのだが、なんとなくバーネットの『小公子』を手にとって読みはじめた。

すぐのところに、アメリカ大統領選挙にまつわる話が出てきた。

「本当に、ぼっちゃんったら、笑わないではいられませんのよ。あんなにかわいい様子をして、それはそれは、妙なことをおっしゃるんですからね。この間、大統領の選挙があった時などはね、台所へ来て、両手をポケットに突っ込んで、こうおっしゃるんですよ。『メアリーや。ぼくは、共和党なんだよ。ママも同じだけれど、お前はどうなのかい。』ですって。わたし、おかしかったけれど、吹き出しそうなのをこらえて、『いいえ、ぼっちゃん、どういたしまして。お気の毒ですけれど、メアリーは、民主党なんですよ。』と言いますとね、どうでしょう。ぼっちゃんたら、本当につまらなそうな顔をなさってね『それは大変だ。きみ、そんなことをしたら国がほろびてしまうよ。民主党は絶対いけないんだから。』って。大変なんですよ。それから、どうしても、わたしを共和党にするってね、毎日毎日、わたしのところへ来て、議論をなさるのですからね。」

フランシス・ホジソン・バーネット『小公子』川端康成(野上彰との共訳)新潮文庫
Frances Hodgson Burnett, “Little Lord Fauntleroy” (1885-1886)

140年ほど前の1880年代と思われる古き良き時代の大統領選挙は実際はどんなふうだったのだろう。マルクス主義的なビックテックやメインストリーム・メディアなどの寡占企業による言論統制とプロパガンダが拡大する中、グローバル金融資本家が跳梁跋扈するワシントンでは、腐敗しきった政府の役人や政治家らによるプルートクラシーが蔓延し、挙句の果ては大統領選挙が「盗まれる」事態にまで落ちぶれた現代アメリカの惨状を、バーネットが見たら何と言うだろう。「やっぱり」と思うだろうか。

小説の最後、ホップスさんの言葉も気になる。

「どうして、どうして。あっちで落ち着くなんてことは、わしはごめんだよ。わしは、あの子のそばにいてな、後見役をしておるつもりじゃよ。なるほど、アメリカは、若くてこれから働ける人間には、いい国に違いないが、悪いところもあるよ。第一、ご先祖代々というのがないし、伯爵というのもないからな。」

同上

荒野を歩き回ったあとで、ちょっと立ち寄った『小公子』だったけれど、純真なセドリックの言葉と品格ある翻訳の文体に心が安らいだ。もっと早く、10代の頃に読んでいたらよかった。バーネットの他の作品、『小公女』と『秘密の花園』も、遅ればせながら読んでみようと思った。


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