映画『ウディ・アレンの夢と犯罪』は、ウディ・アレン監督による「ロンドン三部作」の三作目にあたる。英語の原題はCassandra’s Dream、カッサンドラの夢。oxymoron的というのか、不吉なタイトルだ。夢や希望がかなうことはなさそうな。
ギリシャ神話に登場するカッサンドラは、アポロンから予言の能力を与えられながら、同時に誰も彼女の言葉を信じない、という呪いをかけられてしまったトロイアの王女だ。破滅的な未来を予見し警告しても、耳を傾ける者はおらず、人々は悲劇の結末へと向かっていく。映画を見る前に、うちの奥さんが「悲劇的な結末が予想できるよね」とカッサンドラのごとく予見したとおり、映画は破滅に向かってまっすぐに進む。
ビジネスでの成功を夢見る野心家の兄(ユアン・マクレガー)、奥さんと幸せな家庭を築こうとする弟(コリン・ファレル)の兄弟が、夢の実現に向かってもがけばもがくほど事態は悪化していく。負のスパイラルは止まらない。あたかもアポロンの呪いが、彼らにもかけられてしまったように。
偶然ロンドンに立ち寄ったお金持ちの「アメリカの伯父さん」が、突然の土砂降りの雨にうたれながら、ひとけのない公園で兄弟に殺人を依頼する場面がある。悲劇の結末へと向かう運命の糸車が回り出す瞬間だ。「これはアカン、もう後戻りできない」と強く印象付けられる不吉なシーンだ。
フィリップ・グラスによるミニマルな音楽が、このドラマの背後で効果的に流れている。あるときは小川のせせらぎのようにゆっくりとしかし確実に、またあるときは豪雨で発生した濁流にのみこまれるがごとく一気に、登場人物たちを悲劇の結末へとさらっていく。
「悲劇を演じることができるものは、いくぶんか幸福な存在である」とするならば、きっといくぶんかは幸福であるはずのウディ・アレンによってこの映画が作られ、それを楽しむことができるというのは、とてもラッキーなことにちがいない。
映画『アニー・ホール』で主人公(ウディ・アレン)がペシミスティックな人生観をアニー(ダイアン・キートン)に語る書店でのシーンを思い出した。人生を「悲惨(horrible)」と「みじめ(miserable)」の2つにカテゴライズし、とんでもなく不幸な人生が「悲惨」であり、それ以外はすべて「みじめ」であるとしたうえで、自分の人生が「みじめ」であるならば、それはとてもラッキーなことなんだから感謝すべきであると。
ロンドン三部作では、カンバーバッチの『SHERLOCK(シャーロック)』シリーズにも出演している俳優たちをいくつかの場面で見かけた。重要な役もあれば、ほんの一瞬だけの役でわかりにくい場合もあるが、ロンドンで撮影された映画ならではの、配役の面白さも見逃せない。
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