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#014 須賀敦子「わるいまほうつかいブクのはなし」、ほんとうのことを好きになる

短篇小説
Savonlinna Finland 2006

世の中にはいろいろな規則がある。立場主義者が従っているのが東大話法規則であるならば、わるいまほうつかいになるために守らなければならないのが、この短い話に出て来る、五つのきそくである。

ブクが死ぬことになったのも仕方のないことでした。まだ髪のくろい若者だったころ、どうにかしてこのきらびやかな宮殿で一生安楽にすごせるような工夫はないものかと思いめぐらし、ついに悪いまほうつかいになろうと決心して、そのほうの大家のトクの弟子になったとき、おごそかにちかったあの大切な五つのきそくをひとつのこらずやぶってしまったからには、もうブクはどうしても死ぬよりほかなかったのです。
その五つのきそくというのは、まあざっとこんなものです。

須賀敦子「わるいまほうつかいブクのはなし」(『須賀敦子全集 第8巻』「聖心(みこころ)の使徒」所収)河出書房新社
初出(掲載誌、発表年月日、共に不明)

第一、「心」というものは、ひじょうにきけんなものであるから、なるべくいつも「株式会社わるいまほうつかい銀行」にあずけておくこと。
第二、「いげん第一」
第三、「澄んだ目をした人間には気をつけること」
第四、「じぶんのあたまでものを考えることをぜったいにさけること」
第五、「わるいまほうつかいは、ほんとうのことを好きになったら二十四時間以内に死ななければならない」

たった五つの規則だが、こんなものを全部守ることのできる人はまずいないだろう。 しかも、このきそくを破ると、最悪の場合死んでしまうのだし。

ところで、この厳しいきそくを立派に守って、わるいまほうつかいとしてエリート人生を歩んできたブクだが、90さいの誕生日直前にどうやら死にかけているようだ。五番目の規則を破ってしまったのだろうか。ブクがほんとうのことを好きになってしまったのだろうか。

ところで、ほんとうのこととはなんだろう。多分こういうことは頭で考えてもわかるものではない。いや少しはわかるかもしれないが、なんにも考えていない時に、ふっと感じる何かがほんとうのことのような気がする、というぐらいしか今のところ自分には考えられない。矛盾するかもしれないが。

いったん、ほんとうのことを好きになることを止めてしまうと、ほんとうのことを思い出してそれを好きになるのは、簡単なようでいて案外難しいことなのかもしれない。僕もそうならないように、「何も考えない」ということについて、できるだけ自分のあたまで考えるようにしたい思う。


コメント

  1. 瑠衣 より:

    初めまして、こんにちは。
    須賀敦子さんの書いた童話「わるいまほうつかいブクのはなし」を本でよみたいなと探し中にこちらにたどり着きました。
    ご存知でしたら教えていただけませんでしょうか。

    須賀敦子「わるいまほうつかいブクのはなし」(『須賀敦子全集 第8巻』「聖心(みこころ)の使徒」所収)河出書房新社

    と記されてますが、須賀敦子全集 第8巻(河出書房新社)の中の「聖心(みこころ)の使徒」に書かれているという事なのでしょうか?

    恐れ入りますがどうぞよろしくお願いいたします。

    • じつぷり じつぷり より:

      はじめまして。
      ご質問ありがとうございます。
      はい、須賀敦子全集 第8巻(河出書房新社)で読むことができます。

      今回ご質問をいただき、改めて、河出文庫『須賀敦子全集 第8巻』巻末の編集部による解題をみてみると、初出については「わるいまほうつかいブクのはなし」は、「掲載誌、発表年月日、共に不明」となっていました。

      ブログの記載に「掲載誌、発表年月日、共に不明」と書き加えたいと思います。

      ブログ読んでくださってありがとうございます。