このまえ暇なときに、Collins COBUILD(コリンズ・コウビルド)英英辞典を読んでいたら、「idiot box」とういう単語を発見した。「白痴箱」って何だろうと思ったら、テレビのことだった。tellyというのは知っていたが、「idiot box」という言い方は知らなかった。
僕は子供のころはテレビっ子で、「そんなにテレビばかり見ていると馬鹿になるぞ」と親によく叱られた。あるときテレビの視聴時間に規制をかけられたことがあって、理不尽だと思ったが、今考えると、親として「idiot box」を規制するのは、当たり前なのかもしれない。
曽野綾子の小説『太郎物語』に、「テレビなしでは生きていけない」という太郎(主人公の少年)の主張に激怒したお父さんが、「生きていけるかどうか、試してみろ!」と、テレビを庭に放り投げて壊してしまうという場面があった。
小説では太郎はテレビのない生活に慣れていくのだが、この本を読んだ当時中学生だった僕は、テレビのない生活は想像もできなかった。
ところが不思議なことに、20才を過ぎたころから、誰からも強制されたわけでもなく、いつのまにかテレビを見なくなった。かれこれ20年以上テレビを所有していないし見たいとも思わない。実家で親がテレビをつけていたりすると、むしろストレスを感じて疲れてしまう。
逆に、うちの奥さんのようにテレビがないと退屈する人もいる。漫画家の中崎タツヤも『もたない男』という本で「テレビのない人はどうやって暇を潰しているのか不思議だ」というようなことを書いている。
また、コウビルドで「telly」を引いてみると、例文として「After a hard day’s work most people want to relax in front of the telly.」とあるし、まあこれがが世の多数なのかもしれない。
ところでフィンランドでもテレビ好きな人は多い。テレビの前でビールを飲みながら、F1レースを見て不健康に週末を過ごすテレビっ子、というかテレビ中毒者を何人か知っている。
金曜日の午後に、KarhuやKoffのビール缶のパックをいくつも抱えて、スーパーマーケットのレジにならぶ人たち(心なしか男性が多い)をよく見かけたが、週末テレビ中毒者の含有率は高かったのではないだろうか。
ミカ・ハッキネンやキミ・ライコネンなどの、優秀なフィンランド人F1ドライバーが多く輩出されるのも、ひょっとしたらこういったことと関係があるかもしれない。
「テレビなしでは生きていけない」のは、フィンランドの冬に限って言えば、大げさなことではない。彼らにとってテレビは、単に「暇をつぶす」ためのものではなく、「冬を潰す」ために欠くことのできない生命維持装置なのだ。
フィンランドの憲法は読んだことがないけれど、テレビを見る権利が「侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与へられる」と定められていたとしても驚かないだろう。
ところで、猫はどうやって暇をつぶしているのだろうか? こんど暇なときに、じっくりと観察してみようと思う。
コメント