延原謙の訳によるシャーロック・ホームズを読み始めたのは、中学生になるかならないかの頃だった。
お小遣いを掴んで、駅前の書店まで出かけては、背表紙が空色の、久野純によるカバーデザインの新潮文庫を一冊一冊買い集めた。
文庫の頁をめくり、そこでたびたび目にする「フールスカップ」という言葉から、風合いのあるしっかりとした紙の、ガサガサとこすれる音と手触りを掌に空想し、時空を遠く離れた「19世紀の犯罪都市ロンドン」や「沼沢地(moor)」を遊夢した。
それでも朝になってみると、とにかくいちど行くだけは行ってみようという気になりまして、インキの小瓶と鵞ペンとフールスカップを七枚だけ買いととのえて、ポープス・コートをさして出かけました。
コナン・ドイル「赤髪組合」延原謙訳(『シャーロック・ホームズの冒険 』所収)新潮文庫
ホームズは封筒のなかから半截のフールスカップを四ッ折にしたものを取り出して、テーブルのうえにひろげた。見るとその中央にただ一句『生命を惜しむの理知あらば、かまえて沼沢地に近づくなかれ』と、活字刷りの文字を切り抜いて、一字ずつのりで貼りつけてあった。そしてそのなかの沼沢地(moor)という字だけがペンで書いてある。
コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』延原謙訳 新潮文庫
最近になって、ツバメノートにフールス紙が使われていることに気づいた。道化師帽のすかしは入っていないし、シャーロック・ホームズのフールスカップと何が同じで違うのかわからないけれど、フールス族の末裔であることは間違いないはずだ。
ますます手に馴染むツバメノートだが価格がだいぶ上がっている。さらに今年2023年11月にも値上げの予定だ。
丸善の「本体¥370円+税」の値札が貼ったままになったツバメノートが手元にある。いつ買ったのか覚えていない。名古屋栄の丸善が、まだ広小路通の明治屋の隣(あるいは呉服町通のKFCの隣)にあった頃だ。
中学生の時分に買った新潮文庫の『バスカヴィル家の犬』は昭和57年3月の版で240円だ。ツバメノートにも奥付に発行印刷年月日があったらなと思った。
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