「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな。」
土方巽『病める舞姫』白水社
「子供のころ、マイケルが大好きで、彼の音楽に合わせてよく踊っていた」
マイケル・ジャクソンが亡くなってまだ間がない夏のある日、テレビの追悼番組で「ビリー・ジーン」を踊るマイケルの姿を、体育座りをして食い入るように見つめていたSanniがつぶやいた。
Sanniは、アールト大学でドキュメンタリーフィルムの勉強をするかたわら、ヘルシンキのダンスカンパニーでコンテンポラリー・ダンスを踊っていた。また、フィンランド人のボーイフレンドと一時滞在していた京都では、土方巽や山海塾など暗黒舞踏の流れをくむ女性舞踏家のもとで舞踏を習っていた。
体育会系一家なのか、彼女のお兄さんは、地元ユヴァスキュラのプロチームに所属した、フィンランド代表に選ばれたことのある有名なサッカー選手だ。Sanni自身も、フィギュアスケートでフィンランド代表候補になったことがある。ラウラ・レピスト(キーラ・コルピだったかもしれない)と同じリンク上で練習したこともあるらしい。
彼女のダンスは、飯詰の籠を思わせるベビーカーにすっぽりとおさまり、ユヴァスキュラの氷点下の戸外で昼寝をする赤ん坊が、なんとか立ち上がり、歩き、走り、踊ろうとしているかのような身振りを連想させる。
糸あやつり人形のように、「重力の魔」を相殺し月面を歩くマイケル・ジャクソンと、干からびた白塗りのミミズが超スローモーションで地面を跼蹐するような土方巽が、クラシックバレエの素養もある一人のフィンランド女性の身体に、どのような塩梅で配合されているのだろう。
ダンスのことがよくわからない身としては、彼女が名古屋に来たときに作ってくれたティラミスと、ぼくがヘルシンキに彼らを訪れた際、焼いてくれたピッツァ、マルゲリータがとても美味しかったことが、味覚の記憶として残っている。まさかそこに、マイケル・ジャクソンと土方巽のエッセンスが少量ずつ加えられていた、なんてことはないとは思うのだけれど。
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