「あれか? わからん。けど、こうじゃないかと思うことはある。いいかい、あのサブロボットはデイブの〈指〉なんだ。いつもそう言ってきただろう。で、思うにだ、デイブが気が触れて、ああいう幕間劇がはじまると、やつは魯鈍の迷路にはまりこんで、そのあいだ指をひねくりまわしていたんじゃあなかろうか」
アイザック・アシモフ「野うさぎを追って」(『われはロボット』小尾芙佐 訳 所収)ハヤカワ文庫SF Catch That Rabbit:Isaac Asimov(I, Robot)
地下鉄の車内で、隣に座っている人のスマートフォンを操作する仕草が視界に入ると、その手つきというのか指使いが気になってしまい、席を立って逃げ出すことがよくある。
といっても、車内では、隅の方で自閉的に壁に顔を向けていない限り、ホッとできる地帯が最近は少ない。その指先の仕草を避けて車両から車両へとさまよっているうちに目的の駅に着いてしまう。
多勢に無勢とはこのことで、スマートフォンを持っていない身からすると、地下鉄に乗るにもストレスが多い。
熱心に化粧をする女性、大きな声で楽しそうにお喋りをするおばさんたち、カップ酒を片手にいい気分になっているサラリーマン風の男性、キャッチボールをする小学生、網棚の上で気持ちよさそうに眠る若者。今まで電車や地下鉄の車内でいろいろな人を見かけたけれど、まったく気にならなかった。
しかしどういうわけかスマートフォンの表面をなぞる指先の仕草に生理的な拒否反応を起こしてしまう。あえて言えば、何か汚いもの、たとえば他人が鼻くそをほじっているのを恒常的に見せつけられているような気分になる。
きれいに着飾った女性が一心不乱に鼻くそをほじる、仕立ての良さそうなスーツを着こなしたビジネスマンが眉間にしわをよせて鼻くそをほじる、部活帰りの学生がニヤニヤしながら鼻くそをほじる。
快不快の感覚は人それぞれだが、もしも電車のなかでそういう人々に囲まれていたら、平常心を保ちつづける自信は、僕にはない。
それに、鼻くそをほじっている人の表情とスマートフォンに没頭している人の表情がどこか似ている。人前ではしないが自分でも鼻くそをほじらないわけではないので偉そうに言えないけれど、我を忘れて呆けていた表情になっている。
下車するときに「すみません」と声を掛けても、聞こえているのかいないのか反応が鈍く、なかなか通路をあけてくてなかったりする。
機械はスマートかもしれないが、それを使っている人はそうでもなさそうに見える。テレビのことを「idiot box」と言ったりするけれど、ひょっとしてiPhoneの「i」は、idiotの「i」だったりして。
名古屋の地下鉄には原則女性しか乗車できない女性専用車両というのがあるが、スマートフォンの使用を禁止する「スマートフォン禁止車両」というのが一つぐらいあったらありがたいのになと真面目に考えてしまう。「嫌スマートフォン権」などと言うつもりはないが、あるいは僕と同じように感じている人が他にもいて、そういう需要があるかもしれない。
ジャック・タチの映画『トラフィック』の一場面。自動車で信号待ちなどのちょっとした間に鼻くそをほじる人が、スマートフォンをいじる人どこか重なって見えてくる。
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